創立130周年の近江鉄道が、慢性赤字を脱却した理由「上下分離方式」とは!?

近江鉄道

滋賀県彦根市に本社を置く近江鉄道(おうみてつどう)。令和8年6月16日で創業130周年を迎える歴史ある鉄道ですが、近年は慢性赤字に悩まされていました。しかし直近の2年間は黒字に転換。その切り札となったのが「上下分離方式」です。目下、私鉄の赤字路線で注目の「上下分離方式」を解説します。

相鉄、阪神を凌ぐ59.5kmの路線距離を誇る

赤電塗装の車両(昭和40年代~50年代に運行)

近江鉄道は、官設鉄道が琵琶湖の湖岸近くを走ったことで危機感を募らした湖東の近江商人の尽力で明治29年6月16日創立。
明治31年6月11日、彦根〜愛知川間が開通した歴史ある鉄道です。

創業時も近江鉄道、現在の社名も近江鉄道で、鉄道会社の社名で130年間も同じ名前なのは、近江鉄道だけ(2位は東武鉄道です)。
戦前は「近鉄」と略され、「近鉄」といえば近江鉄道のことでした(近畿日本鉄道=近鉄の発足は昭和19年)。

現在は、西武鉄道100%出資の西武グループの鉄道(昭和18年5月10日、現・西武グループの箱根土地の経営傘下に)。
本線(米原駅〜貴生川駅/47.7km)、多賀線(高宮駅〜多賀大社前駅/2.5km)、八日市線(近江八幡駅〜八日市駅/9.3km)の3線59.5kmを有し、大手私鉄の相模鉄道(42.2km)、阪神電気鉄道(48.9km)よりも路線距離の長いローカル私鉄となっているのです。

路線距離が長いという点は、保線などの関係から経営上のデメリットにもなり、30年にわたっての赤字が続き、廃止も噂されていました。

復刻した赤電(平成28年~令和7年に運行)

「上下分離方式」をテコにして鉄道再生を図る

近江鉄道
西武鉄道新101系が譲渡され、100形電車として活躍中

近江鉄道は3つの路線が10の市町にまたがり、湖東平野の重要な足となっていること、多賀大社や近江八幡、世界遺産を目指す彦根城への観光客の輸送をも担っているので、滋賀県が鉄道存続のためにテコ入れをしたのです。
2024年、滋賀県などが車両や鉄道施設を保有し、その維持管理のコストを負担、近江鉄道は電車の運行に特化するという「上下分離方式」を導入。
これが功を奏して、黒字に転換したのです。

現在、全国の赤字に悩む私鉄路線でこの「上下分離方式」が検討されていますが、自治体の負担増となることから、「地元にとって貴重な足」であること、「バス転換に代えがたい利用価値」があることなどが重要となります。
「沿線の人口は減る傾向にあるので、どうやって補っていくのか。これから考えていきたい」(近江鉄道・藤井高明社長)とのことで、観光誘客などにも取り組む予定ですが、時すでに遅しの感もあります。

近江鉄道は、かつて京都宝ヶ池プリンスホテル、大津プリンスホテル、彦根プリンスホテル、国民宿舎かもしか荘、国民宿舎もみじ荘、国民宿舎金剛輪寺荘、国民宿舎余呉湖荘などを有していましたが、今は手放すか廃止にしていて直営の宿もありません。
伊吹山スキー場、箱館山スキー場、国境スキー場などのスキー場も、今は手放しています。

観光誘客を図るにも宿泊施設、レジャー施設との連動はできないので、頭を悩ますことになりそうです。
仮に彦根城が世界遺産に登録されても、かなり一過性のブームなので、観光客の持続的な増加にはつながりません。

「上下分離方式」は再生の切り札ではなく、あくまで延命策に過ぎないといえるでしょう。
それでも地域に支えられてきた近江鉄道が、「上下分離方式」をテコにして、新しい鉄道のスタイルを確立する可能性もあり、地元でも期待も高まっています。

創立130周年の近江鉄道が、慢性赤字を脱却した理由「上下分離方式」とは!?
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