岡山県赤磐市(あかいわし)にある巨大な前方後円墳が両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)。墳丘長206mという巨大な前方後円墳で、5世紀後半(古墳時代中期)頃の築造。備前地方では最大、岡山県でも第3位の巨大な前方後円墳で、ヤマト王権と密接な関係にあった首長の墓と推測できます。国の史跡。
ヤマト王権と密接な関係があった首長の墓
前方後円墳4基・帆立貝形古墳2基などで構成される両宮山古墳群(西高月古墳群)のひとつで、その主墳。
古墳時代中期の5世紀後半頃の築造で、内濠は江戸時代に農業用ため池(両宮池)となり、周濠の一部が埋没して水田化しています。
周濠を含めた全長は349mで、後円部(直径116m)、前方部ともに3段構成。
内濠、外濠の2重周濠が巡らされていますが、吉備地方では例が少なく、ヤマト王権との関係(ヤマト王権の大王との近親関係にある首長)が指摘されています。
しかも、墳丘の平面形は墳丘長525mで日本最大の大仙陵古墳(5世紀前期〜中期造営、伝・仁徳天皇陵/大阪府堺市堺区)の5分の2スケールで設計されているのです。
発掘調査で葺石(ふきいし)も埴輪も発見されていないことから、古墳築造の最終段階で、なんらかの問題が生まれたと通常の埋葬ができなかった可能性が指摘されています。
両宮山古墳が築造された以降は、大型の古墳の造営がないことから、『日本書紀』に記される雄略天皇7年(463年)の吉備下道臣前津屋(きびのしもつみちのおみさきつや)、吉備上道臣田狭(きびのかみつみちのおみたさ)のヤマト王権への反乱との関係も推測できるのです。
後円部北側に位置する帆立貝形古墳(墳丘長55m)の和田茶臼山古墳(わだちゃうすやまこふん)は5世紀後半〜末頃の造営で、陪塚(ばいちょう)と推測できます(被葬者は両宮山古墳の親近)。
西側には聖武天皇の命で建立された備前国分寺跡(0.8km、徒歩12分)もあり、山陽道(古代山陽道高月駅家推定地へ300m)も通ることから、古墳時代から律令時代へとつながった古代から拓けた場所であることがわかります。
5世紀前半に造られた造山古墳(岡山市新庄下/350m)、作山古墳(総社市三須/283m)とともに「吉備の三大古墳」(岡山県の三大古墳)となっています。
画像協力/岡山県観光連盟
名称 | 両宮山古墳/りょうぐうざんこふん |
所在地 | 岡山県赤磐市穂崎 |
関連HP | 赤磐市公式ホームページ |
電車・バスで | JR瀬戸駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 山陽自動車道山陽ICから約3.5km |
駐車場 | 稚媛の里駐車場(25台/無料)を利用 |
問い合わせ | 赤磐市教育委員会社会教育課 TEL:086-955-0710 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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