大阪城天守閣

大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や巨石は瀬戸内海の島々から運ばれた徳川時代のもの。堂々とそびえたつ天守は昭和6年に完成した復元天守閣です。

外観は『大坂夏の陣図屏風』の豊臣時代が基本

現在の復元天守は、織田信長が築いた安土城を凌駕するものを目指した秀吉時代の天守を模倣。
平成の大規模改修により、外壁、装飾部品の修復とともに、白壁と金箔の輝きで彩られた豪奢な姿が甦っています。

鉄筋コンクリート造り8階建てで、内部は歴史博物館。8階・展望台からの眺めも抜群です。
昭和6年築の復元天守は、昭和以降、各地で建てられた復興天守の最初ということもあって国の登録有形文化財にもなっています。

現在、大阪城公園となった大阪城内には、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形など徳川時代の遺構が現存し、国の重要文化財に指定されています。

大坂城VS大阪城の新旧対比

外観は『大坂夏の陣図屏風』の豊臣時代を基本としていますが、初層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁、5層目は豊臣時代風に黒漆に金箔で虎や鶴(絵図では白鷺)の絵を描くなどの豊臣・徳川折衷型。

建てられた場所は元和期天守(徳川時代の大坂城)の天守台の位置。本丸の北東隅にあった初代天守(豊臣時代の大坂城)とは異なる場所に建っているのです。

『大坂夏の陣図屏風』(部分)に描かれた豊臣時代の大坂城
昭和6年に復元された博物館「大阪城天守閣」
豊臣時代の大坂城の縄張り図。天守は東南に
江戸時代の大坂城の図面
淀君と豊臣秀頼自刃の真相
淀君と豊臣秀頼は天守閣で自刃したのではなく落城の翌日まで天守北側の山里曲輪の矢倉に身をひそめていました。そこを徳川軍に発見され自刃したのが真相。大河ドラマなどで、天守の焼失とともに自刃した姿が描かれるのは、その方がドラマチックだから。
実際に自刃した場所(山里曲輪の矢倉跡)には石碑が建てられているので天守閣入城のあとにぜひお立ち寄りを。
豊臣秀頼・淀殿自刃の地
大阪城天守閣
名称 大阪城天守閣/おおさかじょうてんしゅかく
所在地 大阪府大阪市中央区大阪城1-1
関連HP 大阪城天守閣公式ホームページ
電車・バスで JR大阪城公園駅、JR・大阪メトロ森ノ宮駅から徒歩15分、大阪メトロ谷町四丁目駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速13号東大阪線森之宮出口から約800m
駐車場 大阪城公園駅前駐車場(171台/有料)、森ノ宮駐車場(100台/有料)
問い合わせ 大阪城天守閣 TEL:06-6941-3044/FAX:06-6941-2197
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大阪城天守閣

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