臼杵城・卯寅口門脇櫓

臼杵城・卯寅口門脇櫓

大分県臼杵市にある臼杵城に現存する往時の櫓のひとつが、卯寅口門脇櫓(うとのぐちもんわきやぐら)。本丸奥に鎮座する卯寅稲荷神社近くに建つ二重櫓で、卯寅口を見下ろす監視櫓。卯寅口は城の搦手(からめて=裏門)にあたり、緊急時には、卯寅口から船を出すという脱出ルートにもなっていました。

本丸の搦手を守備する卯寅口門の脇に建つ櫓

臼杵城・卯寅口門脇櫓

大友宗麟(おおともそうりん)は、永禄5年(1562年)、臼杵湾に浮かぶ丹生島に城を築き、大分府内の大友館から居館を移したとされていますが、その際、島の東端に本丸を築き、西に二の丸を配しています。

往時には海側(大手と反対の搦手)に卯寅口門が配され、船に乗船することができる構造になっていました。
卯寅(うとら)というのは、東北東を意味しますが、なぜ「うとら」が「うとの」に転訛したのかは、定かでありません。

卯寅口門脇櫓は外見は2層の二重櫓ですが、内部は3層に。
棟札から幕末の嘉永7年(1854年)に築かれていることがわかりますが、延宝4年(1676年)の本丸御殿指図を見ると、すでに御鉄炮薬櫓(おんてっぽうくすりやぐら)という名の櫓が記されていることから、時代とともにその役割が変遷したことがわかります。

卯寅口門脇櫓の下に井戸が残されていますが、井戸があったことから井戸丸とも呼ばれていました。

卯寅稲荷神社への参道は、明治以降に築かれたもので、往時のものではありません。

臼杵城に現存する藩政時代の建築物は、本丸の卯寅口門脇櫓のほかには、二の丸の畳櫓があるのみで、大門櫓は復元です。

臼杵城・卯寅口門脇櫓
臼杵城・卯寅口門脇櫓
名称 臼杵城・卯寅口門脇櫓/うすきじょう・うとのぐちもんわきやぐら
所在地 大分県臼杵市臼杵
関連HP 臼杵市観光情報協会ホームページ
電車・バスで JR臼杵駅から徒歩10分
ドライブで 東九州自動車道臼杵ICから約3.4kmで市営下屋敷前駐車場
駐車場 市営下屋敷前駐車場(45台/30分まで無料、以降有料)
問い合わせ 臼杵市産業観光課 TEL:0972-63-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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