大分県杵築市、杵築城の西の高台に位置する、南台武家屋敷跡。杵築藩の上級武士が暮らした武家屋敷街で、杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区にも選定。海蝕崖で囲まれた南北の台地は武家地、台地を囲む低地は町人地という「サンドイッチ型城下町」を形成していました。
家老丁は、その名の通り、家老など重臣の屋敷跡
杵築城下町のうち、16.1haが杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区に指定。
杵築城下町の骨格は、慶長6年(1601年)に杵築城代となった松井康之(まついやすゆき=細川忠興の家臣、当時、杵築は細川忠興の飛び領)の頃に基礎が形成され、その後、寛永9年(1632年)に杵築藩主となった小笠原忠知(おがさわらただとも)を経て、松平英親(まつだいらひでちか)以降、能見松平家の時代に城下町の構成がほぼ定まっています。
杵築城下町は、上級武士が暮らした北台と南台の武家屋敷街の谷間に商人町を挟んだ、「サンドイッチ型城下町」。
北台と南台には、往時の屋敷地割と町並みが残されています。
18世紀末の作成された『杵築城図(金子絵図)』によれば、南台武家屋敷には、中根長右衛門(現・中根邸)、大原勘七らが住む家老丁のほか、藩主の菩提寺である養徳寺へ通じる本丁を中心に、松・竹・梅の3小路や裏丁に面して平井一郎左衛門や石田源介など100石取以上の奉行職を務めた藩士らが住んでいました。
幕末期に描かれた南台本丁通りの絵図『南台本丁武家屋敷町筋図』によれば、土塀と門で囲われた武家屋敷らしい道路景観を呈したことがわかっています。
南台武家屋敷跡には、中根邸、きつき城下町資料館(一松邸を併設)があり、飴屋の坂、志保屋の坂(塩屋の坂)が台上に通じています。
志保屋の坂(塩屋の坂)から延びる家老丁は、重臣の居住地で、家老丁から西へ延びる本丁通りとその北にある裏丁通り、本丁通りから南へ延びる松ヶ小路、竹ヶ小路、梅ヶ小路の各通りは、現在も往時の姿をよく残しています。
南台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区) | |
名称 | 南台武家屋敷跡(杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区)/みなみだいぶけやしきあと(きつきしきただいみなみだいでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)てきけんぞうぶつ |
所在地 | 大分県杵築市杵築 |
関連HP | 杵築市公式ホームページ |
ドライブで | 大分空港道路杵築ICから約3km |
駐車場 | 観光客用駐車場を利用 |
問い合わせ | 杵築市商工観光課 TEL:0978-62-3131 |
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