岡城・三の丸跡

岡城・三の丸跡

大分県竹田市、江戸時代に岡藩の藩庁が置かれた山城が、岡城(豊後竹田城)。日本100名城、日本さくら名所100選にも選定される城です。岡城の中核部分の入口となるのが三の丸で、往時には藩主が家臣や他藩からの使者などに対面した場所だとされています。

屏風折となった見事な高石垣を見学

岡城・本丸跡

現在は遺構はとくになく、3代藩主・中川久清(なかがわひさきよ)に招かれて、治山治水(城原井路、緒方井路)、三宅山の植林、郷村制度の強化を行なった陽明学者・熊沢蕃山(くまざわばんざん)の顕彰碑などが立っています。

藩主・中川久清や藩士が熊沢蕃山の講義を聞いたのも三の丸だったのかもしれません。

三の丸で注目は、石垣。
三の丸北側から二の丸にかけて続く絶壁上に築かれた高石垣は実に見事です。

岡城の最終防衛の拠点となる曲輪(くるわ)なので、近世城郭とはいえ、屏風のようなジグザグの形に。
ジグザクになっているのは、2方向から矢や鉄砲を放つことができるため、防御側が優位性が保てるから、そして高石垣が崩れにくいから。
侵入を試みる敵軍に横から矢を射掛けることができるので、「横矢掛り」(よこやがかり)と呼ばれています。
とくに岡城の三の丸のような屏風を立てたように屈折を繰り返した石垣の形状を屏風折(びょうぶおれ)といい、愛媛県松山市の松山城など、各地の城で採用されています。

岡城・三の丸跡
岡城・三の丸跡
名称 岡城・三の丸跡/おかじょう・さんのまるあと
所在地 大分県竹田市竹田
関連HP 竹田市岡城跡公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩20分
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約41km
駐車場 200台/無料
問い合わせ 竹田市教育委員会 TEL:0974-63-1111/FAX:0974-63-2373
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

岡城

岡城は、竹田市街の東2kmにあり、1185(文治元)年、緒方惟栄(おがたこれよし)が源義経を迎えるために築城したと伝わる、平山城の跡。標高325m、周囲は2つの川にはさまれ、阿蘇山の火砕流で形成された断崖絶壁に建っているため、難攻不落の名城

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岡城・本丸跡

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岡城・西の丸跡

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