大石正英の旅を切り撮る NO.5 ナイタイ高原牧場
北海道で狩勝峠から以東は「道東」と呼ばれています。道東のうちでも十勝平野には、以前に紹介した十勝牧場など、「絵になる牧場」があります。今回は、「日本一広い公共牧場」といわれる上士幌町のナイタイ高原牧場へ。十勝平野の北端、…
北海道で狩勝峠から以東は「道東」と呼ばれています。道東のうちでも十勝平野には、以前に紹介した十勝牧場など、「絵になる牧場」があります。今回は、「日本一広い公共牧場」といわれる上士幌町のナイタイ高原牧場へ。十勝平野の北端、…
塩原温泉(那須塩原市)にある景勝地。箒川(ほうきがわ)沿いにある塩釜温泉街から八方ヶ原林道を車で10分ほど。甘湯沢沿いの美しい淵が小太郎ヶ淵です。戦国時代末期、塩原5代目領主・小山小太郎は暗殺された父の仇の娘・玉恵姫と恋…
日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」といわれる明治の元勲・山縣有朋(やまがたありとも)。山縣有朋は、殖産興業を目的に、明治19年、那須・高原山山麓(現・矢板市)に伊佐野農場(後の山縣農場)を開場。山縣有朋記念館は、山縣有朋…
陸軍大臣、陸軍参謀総長などを歴任した明治の元勲・大山巌(いわお)は、那須野ヶ原の開拓、殖産興業政策の一環で、明治14年に従兄の西郷従道(さいごうつぐみち)とともに加治屋開墾場を開設、そして明治34年に各自の部分に分割して…
栃木県野木町にある旧下野煉化製造会社煉瓦窯の通称が、野木町煉瓦窯。明治23年〜昭和46年に稼働し、赤煉瓦を生産して日本の近代化に貢献したホフマン式の煉瓦窯です。国の重要文化財、そして「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産な…
明治22年、第1次山縣内閣の外務大臣に就任した対英条約改正交渉(不平等条約の是正)を行ない、駐独公使、駐イギリス公使としても活躍した青木周藏(あおきしゅうぞう)が、那須高原(現・那須塩原市)に築いた別荘が旧青木家那須別邸…
大正7年に黒磯駅前(現・那須塩原市)に建てられた黒磯銀行本店。黒磯初の石造りの銀行建築で、外壁は正面が芦野石、他は大谷石でできています。石積みを基調としていますが、おしゃれなアーチ型飾り、櫛形風ペディメントを備えています…
JR日光線の終着駅が日光駅。東北本線などを敷設した日本鉄道が明治23年8月1日に開業したという歴史ある駅で、開業の記念式典には小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)も臨席しています。現存するネオ・ルネサンス様式の…
下館駅(しもだてえき=茨城県筑西市)と茂木駅(もてぎえき=栃木県茂木町)を結ぶ真岡鐵道真岡線(もおかてつどうもおかせん/愛称「コットン・ウェイ」)の終着駅が茂木駅。大正9年12月15日に官設鉄道真岡軽便線として開業した歴…
茨城県の下館駅から栃木県の茂木駅まで全長41.9kmを結ぶ路線が真岡鐵道。土・日曜、祝日や夏休みなどにSL(C11、C12)が走っていることで全国的に有名。建物自体が巨大なSLの形(C11)をした真岡駅(関東の駅百選)。…
足尾銅山から流出した鉱毒により渡良瀬川下流域の農作物や魚が全滅するという被害を受け、足尾銅山へ強い抵抗運動を続けたのが旧栃木県下都賀郡谷中村。抵抗運動の強かった谷中村は洪水予防の遊水池建設の名目で大半が池に沈み消滅するこ…
渡良瀬川の洪水調整、水道用水の安定供給を目的に渡良瀬遊水地の第1調節池内に建設された貯水池が谷中湖。廃村になった谷中村の大部分が沈んでいます。ウインドサーフィン、カヌーの湖上スポーツが楽しめる北ブロック、えさ釣りの楽しめ…
群馬県の県都、前橋市にある平城で、江戸時代には前橋藩の藩庁にもなった城が前橋城(厩橋城)。天文3年(1534年)の利根川氾濫後にすでにあった石倉城の三の丸を修復し、城としたのが始まりというが定かでありません。戦国時代には…
、常陸国筑波郡多気(現・茨城県つくば市北条多気)にあった中世の山城跡。城山(じょうやま)と称される標高129.4mの多気山(たけやま)山上に築かれた山城で、壕の跡などが残されていますが、史料などが少なく、幻の城といわれる…
茨城県常陸太田市にある中世の城跡が太田城で、川越城(埼玉県川越市)、忍城(埼玉県行田市)、前橋城(群馬県前橋市)、金山城(群馬県太田市)、唐沢山城(栃木県佐野市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)と並んで関東七名城のひとつ。別…
「鳴門の渦潮」(なるとのうずしお)で知られる鳴門海峡。有名な渦潮は直径20~30mに達して、日本最大の潮流。これに続くのが来島海峡(くるしまかいきょう)。そして平家が滅んだ源平合戦で有名な壇ノ浦の戦いも1日に4回潮流の向…
ブナの森の代表格といえるのが、世界自然遺産の白神山地にある岳岱自然観察教育林(秋田県藤里町)。12haのブナ原生林は、世界自然遺産に登録された白神山地を体験できる数少ない森です。岳岱自然観察教育林内には全長1.8kmの遊…
日本のアルピニストに広く知られている中国の”黄山の絶景”をもとめて朝便の中国東方航空・羽田空港発午前8時40分、上海行きに搭乗した。早朝から空港カウンターには長い列が続き、平日にもかかわらず満席だ…