小江戸と呼ばれる埼玉県川越市は、松平家17万石の城下町として栄え、最盛期には100軒以上の蔵造りの建物が建ち並んでいました。蔵造りの町並み(川越一番街商店街)一帯には見事な蔵が並び、散策に絶好。明治26年の川越大火後、防火建築として蔵造りの商家が建てられたものです。
二度の大火を経て、蔵造りの町並みが誕生!
明治26年3月17日に発生した川越大火では、当時、埼玉県随一の人口を誇った川越町(現・川越市)の全戸数3315戸のうち、1302戸を焼失。
火の回りが早かったため、埼玉県で最も繁栄した商人の街・川越は、家財道具を持ち出す間もなく灰と化したのです。
川越の城下町は、商人町を含め、寛永15年(1638年)の川越大火直後に藩主となった松平信綱(まつだいらのぶつな)が町割りを行なったもの。
城下の商業要素の集中した上五ヵ町(本町、江戸町、喜多町、高澤町、南町)を商人町、下五ヵ町(鍛冶町、多賀町、志義町、上松江町、志多町)を職人町と定めたのです(その十ヵ町のシンボルが時の鐘)。
江戸城や武家屋敷を焼き尽くした明暦の大火(1657年)後の江戸の復興計画の際、松平信綱は川越の経験を活かし、指揮しています。
明治26年の川越大火では、時の鐘も焼け落ちましたが、悲惨な大火から、蔵造りの大沢家住宅など9 軒の土蔵造りが焼け残ったため、延焼を防ぐ耐火建築として蔵造りが見直されたのです。
東京では、文明開化後、レンガ造りや石積みの建築物が増えていましたが、川越商人たちは漆喰(しっくい)などを使った伝統的な蔵造り建物を選択。
現在残っている多くの蔵は大火後に建てられたものということに。
蔵造りの建物としては、国の重要文化財にも指定されている「大沢家住宅」(小松屋民芸店)のほか、川越屈指の豪商で煙草卸商「万文」の建物を再生した「川越市蔵造り資料館」、明治時代の薬種商・服部家を再生した「服部民俗資料館」、大火直後に建てられた蔵造りの「陶舗やまわ」、明治28年築の滝島家住宅を再生した「石喜 河越酒店」は、その典型的な存在。
川越のシンボルともなっている「時の鐘」は、寛永年間(1624年~1644年)に、川越城主・酒井忠勝(さかいただかつ)が建てたのが最初で、現在の鐘楼は、川越大火の翌年、明治27年の再建。
今でも毎日6:00、12:00、15:00、18:00の4回、時を告げる鐘の音が鳴らされ、この鐘の音は、環境庁(現・環境省)が選定する「日本の音風景100選」にも選定されています。
昭和26年に札の辻から仲町交差点まで430m70店が参加して協同組合として発足したのが、川越一番街商店街。
その後、歩車道の段差解消、歩道の石畳化、電線の地中化なども図られ、さらに昭和58年には、川越蔵の会も発足し、景観保全にも尽力。
そうした活動を背景に、平成11年、川越市川越伝統的建造物群保存地区にも選定され、駅前に移りつつあった賑わいを、再び蔵の町に取り戻すことに成功しています。
蔵造りの町並み(川越一番街商店街) | |
名称 | 蔵造りの町並み(川越一番街商店街)/くらづくりのまちなみ(かわごえいちばんがいしょうてんがい) |
所在地 | 埼玉県川越市幸町 |
関連HP | 川越一番街商店街公式ホームページ |
電車・バスで | 西武新宿線本川越駅から徒歩15分 |
ドライブで | 関越自動車道川越ICから約6kmで市内観光用駐車場 |
駐車場 | 市内観光用駐車場(157台/無料)、川越駅東口公共駐車場(286台/有料)、土・日曜、祝日のみ市庁舎南側駐車場(120台/有料)・市庁舎北側駐車場(90台/有料)を利用可能 |
問い合わせ | 川越市観光課 TEL:049-224-5940 |
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