彦根城

彦根城

彦根城(滋賀県彦根市)は、姫路城などとともに国宝5天守の一つに数えられる名城で、約20年の歳月をかけて元和8年(1622年)頃に完成をみた彦根藩井伊家35万石の居城です。琵琶湖八景「月明・彦根の古城」に数えられるほど優美な姿を見せる天守は、現在も彦根のシンボル的存在になっています。日本100名城に選定。

大坂城監視の役割を担って天下普請で築城

彦根城
彦根城空撮 Photo Map

彦根は中山道と北国街道(北陸道)が合流する要衝。
京に近いこともありの壬申の乱から関ヶ原の合戦に至るまで、多くの戦いが琵琶湖周辺で繰り返されてきました。
豊臣秀吉は石田三成を佐和山城に、徳川家康は井伊直政を彦根城にと信任厚い人物を彦根に配しているのです。

慶長8年(1603年)、徳川家康の命を受け、井伊直継が西国に向けての防衛拠点としての彦根城の築城を開始、慶長11年(1606年)に完成

彦根城は、本丸、二の丸、三の丸、そして山崎曲輪(やまざきくるわ)から形成され、天守のほかに西の丸と山崎曲輪に三重櫓が建てられています。
天守は大津城からの移築とされるほか、多くの建造物が廃城となった琵琶湖周辺の城からの移築で、諸大名による天下普請(てんかぶしん)で築かれました。

優美な姿の天守は国宝、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)や天秤櫓(てんびんやぐら)などは国の重要文化財に指定されているなど、城内は藩政時代の雰囲気がそのままに残されています。

建築が始まった時点では、大坂に豊臣家が存在し、豊臣家とその取り巻きを監視する役割を有していたため実戦的な備えがされた近世的な城郭となっていますが、豊臣家の滅亡後は、天守ですら倉庫として使われていました。

時代劇や映画のロケにも使われる

藩政時代の石垣と建物が残された彦根城は、映画『武士の一分』(主演・木村拓哉)、映画『大奥』(主演・仲間由紀恵)のロケ地にもなったほか時代劇のロケにはしばしば使われています。

また、彦根城の本丸表御殿を再現した「彦根城博物館」には井伊家伝来の貴重な美術・工芸品が展示されており見応えが十分。

また二の丸部分に残る楽々園は、かつての二の丸御殿の一部で、その隣の玄宮園は、藩主が接待などにも使った二の丸庭園(大名庭園)です。

彦根城の城跡は、国の特別史跡に指定されているばかりでなく、琵琶湖国定公園第1種特別地域という異色の存在です。

彦根城
名称彦根城/ひこねじょう
所在地滋賀県彦根市金亀町3-40
関連HP彦根城公式ホームページ
電車・バスでJR彦根駅から徒歩15分
ドライブで名神高速道路彦根ICから約2.8kmで二の丸駐車場
駐車場二の丸駐車場(40台)・京橋口駐車場(160台)・桜場駐車場(100台)・大手前駐車場(25台)/有料
問い合わせ彦根城管理事務所 TEL:0749-22-2742/FAX:0749-22-2905
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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