滋賀県近江八幡市にある西国三十三所32番札所の寺。美しい山容で知られる繖山(きぬがさやま/432.9m)の山中にあるのが観音正寺(かんのんしょうじ)。寺伝には、聖徳太子が人魚の哀願で、自らが千手観音の像を刻み堂宇を建てたとあり、聖徳太子が近江(おうみ/現・滋賀県)に建てた12ヶ寺でももっとも勢威を振るっていた寺です。
聖徳太子の開基と伝えられる近江の古刹
湖東の名峰、繖山の山中に建つ観音正寺。
中世には近江を支配した佐々木六角氏の居城・観音寺城(日本五大山城)があった場所です。
そのため、一時は寺域が城となり、寺が麓の観音谷に移ったこともありました。
観音寺城は難攻不落の山城といわれましたが、永禄11年(1568年)9月12日、織田信長に抵抗したため信長軍の攻撃を受け落城。
その後、寺も山上へと戻っています。
山上から見下ろす山麓は、古代には蒲生野(がもうの=白洲正子『近江山河抄』にも登場)と呼ばれた広大な原野だった場所で、今でものどかな田園地帯が広がっています。
中世には近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け多くの塔頭(たっちゅう=子院)を有していました。
近世以降は静かな山寺となり、明治15年、彦根城の欅御殿(けやきごてん)を移築して本堂としていますが、平成5年に本尊・千手観音立像とともに焼失。
現在の本堂は平成16年に再建されたもの。
新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師・松本明慶(まつもとみょうけい)の作で、光背を含めた総高6.3mという巨大なもの。
車で有料林道を上れば徒歩10分で到着
観音正寺の境内には江戸時代から「濡仏」(ぬれぼとけ)と称される丈六の銅製釈迦如来坐像が安置されていましたが、第2次世界大戦で供出。
現在のものは昭和58年に再建されたもので、信者や参詣者が書写した写経を毎年胎内に安置し、奉納者の現世安穏と先祖の供養を行なっています。
写経の希望者は庫裏に申し込みを。
万事吉祥の縁結びの祈祷道場として、今も多くの信者を迎えています。
JR安土駅から徒歩1時間30分という行程(途中の桑実寺から山道。桑実寺の拝観料が必要)。
車の場合は、林道繖山線(表参道林道・安土林道)を利用し、終点駐車場から400段の石段を登るのが一般的。
林道観音寺線(裏参道林道・東近江市五個荘林道/有料林道)は道が狭い難点がありますが、終点駐車場からはスロープ状の道が続いています(徒歩10分)。
西国三十三所霊場間の距離・時間
31番・姨綺耶山長命寺(滋賀県近江八幡市長命寺町157) — (16km/50分) — 32番・繖山観音正寺(滋賀県近江八幡市安土町石寺2) — (79km/1時間50分) — 33番・谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23)
※距離と時間はルートや交通状況により変動するため、およその目安です
観音正寺 | |
名称 | 観音正寺/かんのんしょうじ |
所在地 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺2 |
関連HP | 観音正寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR安土駅から徒歩1時間30分 |
ドライブで | 名神高速道路八日市ICから約14km |
駐車場 | 25台/有料 |
問い合わせ | 観音正寺 TEL:0748-46-2549/FAX:0748-46-2586 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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