面積約670平方キロメートルで、日本で最も大きな湖が滋賀県の琵琶湖。滋賀県の面積の6分の1を占める巨大な湖で、湖の周囲も235kmあり、最も狭い部分には琵琶湖大橋が架かっています。琵琶湖大橋から北側が北湖、南側部分を南湖と通称しています。琵琶湖を中心に、滋賀県は湖南、湖東、湖北、湖西と通称。ラムサール条約登録湿地。
世界的にも数少ない古代湖のひとつ
400万年前に現在の伊賀のあたりに古琵琶湖が誕生したのが湖の始まり。
その後、古琵琶湖は、琵琶湖を挟む西岸断層帯と鈴鹿東縁断層帯の2つの断層の働きで北へと動き(消滅した時期もあるので継続した湖としての今の琵琶湖は、100万年前から存続)、約43万年前に現在の琵琶湖になったと考えられています。
琵琶湖は、バイカル湖(淡水湖)、タンガニーカ湖(淡水湖)、カスピ海(塩湖)とともに世界で20ほどしかない古代湖(ancient lake=100万年以上存続している湖)の一つに数えられています(アジアの古代湖はバイカル湖、ビルマのインレイ湖が有名)。
琵琶湖最大の島は、湖東の沖島(近江八幡市沖島町)で、日本で唯一の「淡水湖に浮かぶ有人島」となっています(堀切港から連絡船利用)。
長浜市にある竹生島(ちくぶしま)は、神仏習合時代から琵琶湖弁財天を祀る聖なる島ですが、都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)は夜間は無人となるため、有人島とはみなされていません。
湖上遊覧の琵琶湖汽船は、大津港(大津市/湖南)、今津港(高島市/湖西)、長浜港(湖北)などから出航。
琵琶湖という名が定着したのは江戸時代!
古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあふみ)、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、これが近江(おうみ)、遠江(とおとうみ)という名の由来にもなっています。
琵琶湖という湖名が文献に初めて現れるのは16世紀初頭、室町時代の後期のこと。
しかも琵琶湖という名前が定着したのは江戸時代の元禄年間(1688年〜1704年)以降のことなので、信長、秀吉、家康も、琵琶湖という名を知らなかった可能性が大なのです。
名前は、竹生島に祀られている弁才天(三大弁天)が手にする楽器の琵琶に湖の形が似ていることに由来し、竹生島の弁才天信仰が隆盛したのは江戸時代以降なのです(同時に測量技術の進歩で湖の形が判明したことが背景にあります)。
永楽元年(1558年)、弁才天を祀る宝厳寺が火災で焼けた際、再建に尽力したのは秀吉の正室・寧々(ねね=高台院)、後に豊国廟の極楽門を家康の命で移築するなど、戦国時代末頃から竹生島の弁才天が信仰されていたことがよくわかります。
琵琶湖 | |
名称 | 琵琶湖/びわこ |
所在地 | 滋賀県 |
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