日本三大そばと称されるのは、わんこそば(岩手県)、戸隠そば(長野県)、出雲そば(島根県)。戸隠そばは「火山灰土の霧下」という産地ということもありますが、わんこそば、出雲そばは、「食べ方」重視の選択。誰がいつ唱えたのかは定かでありませんが、三大の名に恥じない名店があります。
わんこそば|岩手県
宮沢賢治ゆかりの老舗など、老舗で味わうのが基本
内容:温かいそばつゆにくぐらせた一口大の蕎麦を給仕がお椀に入れ、空になったら追加するを繰り返し、食べられなくなったときに椀に蓋をして終了という仕組み。
盛岡市、花巻市の郷土料理で、盛岡市で『全日本わんこそば選手権』、花巻市では『わんこそば全日本大会』、が開催されています。
歴史:南部地方の風習「そば振る舞い」がルーツとされ、400年以上の歴史を誇るのが、わんこそば。
地元岩手県でも盛岡起源説、花巻起源説に分かれ、ルーツは定かでありません。
慶長年間(1596年〜1615年)、南部家27代目当主で盛岡藩の初代藩主・南部利直(なんぶとしなお)が江戸に向かう際の花巻城で、そばを椀にいれて出したところ何杯もお代わりをしたというのが有力。
味わうならここ!:わんこそば専用の自家製そばで味わう「東家本店」(盛岡市/明治40年創業)
宮沢賢治も足繁く通い天ぷらそばと三ツ矢サイダーを注文したという「やぶ屋花巻総本店」(花巻市/大正12年創業)。
戸隠そば|長野県
歴史と文化を尊重し、宿坊に併設のそば処がおすすめ
内容:「火山灰土の霧下」という美味しいそば産地の条件にぴったりなのが、長野市戸隠高原の霧下そば。
冷涼な高原で、昼夜の気温差が大きく朝霧が発生しやすい場所が「霧下地帯」。
しかも火山灰地で水はけがよいことも美味しいそばの条件です。
長野県では、戸隠高原、乗鞍高原(日本の農業限界地)、斑尾高原、黒姫高原、木曽・開田高原など、「火山灰土の霧下そば」で名高いそば産地が各所にありますが、その筆頭が戸隠そば。
歴史:神仏習合の戸隠信仰で、修験者たちが味わったのもこの戸隠そばで、修験道場として栄えた平安時代にはすでにそばが食されていたと推測されています。
当時は「そばがき」のようなもので、現在の「そばきり」が生まれたのは江戸時代のこと。
戸隠に江戸・寛永寺の僧侶が伝え、戸隠寺の奥院が別当(地域の総支配人)をもてなす際、特別食として用意したのが「そばきり」でした。
味わうならここ!:院坊のもてなし料理としての歴史を今に伝えるのが「宿坊極意」ですが、そば処「徳善院蕎麦極意」で自慢の戸隠そばを味わうことができます。
明治初年の神仏分離まで戸隠山顕光寺の本坊だったのが、現在の戸隠神社旧本坊勧修院久山館で、宿坊を営む傍ら、宿坊の食事処を「そば処ひさやま」(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館)を営業
「戸隠神社宿坊 いろりの蕎麦処 築山(つきやま)」も宿坊に併設のそば処で、戸隠神社神職である館主が毎日そばを手打ちしています。
出雲そば
城下町松江発祥の「割子そば」、神社の社前の屋台で供された「釜揚げそば」
内容:島根県出雲地方の郷土料理で、出雲大社の社前などにもそば処が並んでいます。
見た目が黒っぽいのは玄そば(殻のついたそばの実)をそのまま挽き込む「挽きぐるみ」のため。
冷たい「割子そば」と温かい「釜揚げそば」という2タイプあるのも大きな特徴です。
観光的に味わうなら、三段に重なった赤くて丸い器に入った「割子そば」が定番で、江戸時代、松江城下の野外でそばを食す際に、四角い重箱にそばを入れたのが割子を使う始まりとされています。
土瓶に入れたつゆを、割子に入ったそばにそのままかけて味わうのも出雲流。
歴史:奥出雲では平安時代からそばを食す文化があったのが背景ですが、松江藩初代藩主・松平直政(まつだいらなおまさ)が、西国監視のために松江城に入った際、江戸からそば職人を連れてきたのがそば文化発展の始まり。
旧暦の10月、出雲では全国の神々が集まる『神在祭』が行なわれますが、社前に並ぶ屋台で温かい釜揚げで新そばが振る舞われたのが「釜揚げそば」の始まり。
城下町・松江発祥の「割子そば」に対し、「釜揚げそば」は出雲大社などの神社周辺が発祥。
味わうならここ!:出雲大社にあり、おみくじ付きの割子そばが人気の天明年間(1781年〜1789年)創業という老舗「荒木屋」。
明治40年、のちの大正天皇にそばを献上したことから「献上そば」の名を許された江戸時代末期創業の老舗「献上そば 羽根屋本店」。
昭和5年創業、松江市内の老舗が、「出雲そば きがる」で、地元産のそばを石臼で自家製粉しています。
【味わうならこの店へ】日本三大そばを味わおう! | |
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