新東海道線(現・東海道新幹線)の工事が着々と進み、「夢の超特急」がテストで256km/hを記録したとニュースで報道されたのが開業前年の昭和38年こと。実は東海道新幹線の開業時、「ひかり」号は、最速列車として超特急と称されていました(新幹線岡山延伸まで超特急として運転)。
前人未到の210km/hで営業運転を実現した「夢の超特急」

今では「のぞみ」に最速列車の座を譲り、静岡駅などにも停車する「ひかり」ですが、平成4年3月14日に「のぞみ」が登場するまでは、最速の列車として君臨していました。
昭和5年、蒸気機関車が客車を牽引する特急ながら東京〜神戸間を9時間で結んだ超特急「燕」が「初代の超特急」ですが、通常の特急を大きく超えるのが超特急という国鉄の定義が誕生しました。
前人未到の210km/hで営業運転を行なうという、まさに「夢の超特急」だったのが、新幹線開業時の超特急「ひかり」で、東京〜名古屋はノンストップで走りました。
各駅に停車する「こだま」は、在来線特急からの移行としての特急という位置づけ。
それに対して「ひかり」はまさに「夢の超特急」を具現化したもので、高度成長時代のシンボル的な存在となったのです。
子どもたちの「将来なりたい職業」には、当然、「超特急の運転士」というのが筆頭になった時代です。
飛行機に対抗するため、JR東海は270km/hでの運転に対応した車両(300系)を投入、東京から新大阪間を従来の「ひかり」の最速列車よりも19分早い2時間30分で結ぶことを実現。
「スーパーひかり」(国鉄時代の計画名称)ではなく、あえて「のぞみ」という列車名をつけて華々しくデビューしたのです。
「のぞみ」は超特急ではなく、列車種別では特急の扱いですが、注目は車内放送。
「This is the NOZOMI SuperExpress bound for Tokyo」(この列車は超特急「のぞみ」東京行きです)となっていて、英語ではLimited Express(特急)ではなく、今もなおSuperExpress(超特急)が健在です。
平成20年12月14日の初代0系車両の引退時、新大阪発博多行き「ひかり347号」(サヨナラの語呂合わせ)の運転の際には、JR西日本に「ありがとう夢の超特急」と告知されましたが、0系の引退は「夢の超特急時代の終焉」ともいえました。
ちなみに超特急料金が廃止されたのは、昭和47年3月15日の山陽新幹線岡山延伸開業で、時刻表にもそれまでは超特急「ひかり」、特急「こだま」と区別して記載されていました。
【昭和レトロな旅】東海道新幹線に超特急「ひかり」が存在した! | |
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