佐賀県嬉野市塩田津の商家町として残る12.8haが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、それが野市塩田津伝統的建造物群保存地区。塩田津は、『肥前国風土記』によれば古代から宿駅が置かれ、近世は長崎街道の塩田宿が置かれた交通の要衝です。
長崎街道と塩田川の舟運で栄えた家並みが現存
塩田津は、有明海に注ぐ塩田川河口7kmの位置にあり、干満の差を利用した河港(津)として栄えたことから「塩田津」と呼ばれるように。
塩田町に和泉式部生誕伝説があるのも、平安時代に、塩田津が京の都と交易があった証しとなっています。
江戸時代後期には、肥前窯業地帯の港湾都市として繁栄し、元禄4年(1691年) 、オランダ商館付の医師として江戸参府に随行した博物学者エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer)は『日本誌』(江戸参府紀行)に「煙の街」と塩田の印象を記述していますが、窯元から薪の煙が立ち上っていたことがよくわかります。
舟運を利用し、明治以降も有田焼の原料となる熊本の天草陶石を陸揚げし陸送する、陶土の町として繁栄しています。
現在はひっそりとしているが、旧長崎街道に面した通りには、耐火機能をもつ江戸後期から明治にかけての「居蔵造」(いぐらや=塗り込められた蔵のような建築構法)の町家が軒を連ねています。
寛政元年(1789年)の大火、文政11年(1828年)の大風後に普及した防火、耐風水害建築が「居蔵家」で、白い漆喰に覆われた大型町家が美しい景観を生み出しています。
なかでも回船問屋・西岡家住宅(国の重要文化財)は旧長崎街道と旧塩田川に面した大店で、内部の見学も可能。
隣接する杉光陶器店(すぎみつとうきてん)は、江戸時代末期に建てられた町家で、三の蔵は、明治43年〜大正5年まで、塩田銀行として使用されたもの(レンガ壁はその時の改装)。
主屋、一の蔵、二の蔵、三の蔵が国の登録有形文化財になっています。
旧塩田川には荷揚げ場や検量所跡もあり、川側に高く築いた石垣には、川に降りる石段や洗い場が設けられ、往時を偲ぶことができます。
塩田の通りの幅が、長崎街道の宿場町にしては広々としているのは、明治38年に馬車鉄道を走らせるため、家を山手のほうに2間(3.6m)移動させたため(鉄道は昭和7年廃止)。
佐賀県内には塩田津のほか、鹿島市浜庄津町浜金屋町伝統的建造物群保存地区、鹿島市浜中町八本木宿伝統的建造物群保存地区、有田町有田内山伝統的建造物群保存地区の合計4ヶ所の国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)があります。
嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 嬉野市塩田津伝統的建造物群保存地区/うれしのししおたつでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲 |
関連HP | 塩田津町並み保存会公式ホームページ |
電車・バスで | JR肥前鹿島駅から祐徳バス武雄行きで11分、塩田下車、徒歩3分 |
ドライブで | 長崎自動車道嬉野ICから約11.7km |
駐車場 | 嬉野市役所塩田庁舎駐車場利用 |
問い合わせ | 塩田津町並み保存会 TEL:0954-66-3550/FAX:0954-66-3550 |
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