大房岬
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口・浦賀水道に突き出た全長2kmの大房岬。江戸時代に江戸湾防備の砲台が置かれ、戦前には、東京湾要塞の要塞になったことで開発を免れ、自然が守られることに。岬一帯が大房岬自然公園として整備され…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口・浦賀水道に突き出た全長2kmの大房岬。江戸時代に江戸湾防備の砲台が置かれ、戦前には、東京湾要塞の要塞になったことで開発を免れ、自然が守られることに。岬一帯が大房岬自然公園として整備され…
千葉県南房総市富浦町、東京湾の湾口に突き出した緑豊かな半島にある大房岬砲台跡(東京湾要塞)。大房岬の砲台は江戸時代後期の文化8年(1811年)に江戸湾防備のために備えられた13門が始まり。その後、東京湾の入口を守る重要性…
東京湾に浮かぶ唯一の無人島が猿島(神奈川県横須賀市)。三笠桟橋からトライアングルの運航する観光船で10分の船旅で到達できますが、島内でもっとも注目の場所が愛のトンネル。猿島は、島全体が明治17年6月に竣工した猿島砲台の跡…
神奈川県横須賀市、横須賀新港沖合い1.7kmに位置する猿島に残るのが東京湾要塞・猿島砲台跡。明治時代、首都東京と海軍・横須賀軍港(横須賀鎮守府/明治17年設置)を守備するため、明治14年11月に起工、明治17年6月に竣工…
神奈川県横須賀市、横須賀新港の1.7km沖に浮かぶ、東京湾唯一の無人島が猿島。戦前は東京湾要塞の一部で島全体が要塞だったため、立ち入りが厳禁。そのため周囲1.6kmの小さな島には豊かな自然と数々の史跡が残されています。江…
幕末の慶応元年(1865年)、幕府の勘定奉行・小栗忠順の進言で、フランス人技師・ヴェルニーを招いて横須賀に開設した横須賀製鉄所(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠)。明治新政府の富国強兵政策の一環で、横須賀に海軍の鎮守府が…
神奈川県横須賀市にある県立観音崎公園は、明治時代に築かれた東京湾要塞の遺構が残されています。眺めのいい「海の見晴らし台」近くにあるのが観音崎砲台・北門第三砲台跡。尾根沿いに続く敷石の園路からレンガ造りの第三砲台隧道を抜け…
東京湾の入口に突き出した観音崎は、幕末に江戸湾防備の台場が、さらに明治以降は首都圏防衛の東京湾要塞の砲台が築かれた場所。明治2年に初点灯した観音埼灯台も江戸時代には台場が築かれた地。その観音埼灯台の南側にあるのが観音崎砲…
三浦半島の東端、浦賀水道に突き出した岬一帯が神奈川県立観音崎公園(横須賀市)。文化9年(1812年)には幕府の命で会津藩が観音崎台場を築き、明治13年には帝国陸軍の東京湾要塞の一部、観音崎砲台が置かれた場所。そのため豊か…
神奈川県横須賀市深田台にある横須賀港や東京湾、対岸の房総半島を眺望する3.8haの公園が中央公園。実は帝国陸軍の米ヶ浜砲台跡を再生した公園で、戦前は秘密のベールに包まれた立入禁止の一帯でした。現在は、公園として整備され、…
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が第二海堡(だいにかいほ)。 富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台です。
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。 最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だ…
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部に…
東京湾に向かって、鶴のくちばしのように突き出した約5kmの砂嘴(さし)。南房総国定公園の一部で、わずか7km先の対岸に、三浦半島の観音崎を見渡せます。その観音崎と同様、幕末の1810(文化7)年には現在の県立富津公園の中…