醍醐寺三宝院・庭園
世界文化遺産「古都京都の文化遺産」の構成資産のひとつが醍醐寺。歴代座主が居住する本坊的な機能を有しているのが三宝院です。庭園は、豊臣秀吉が基本設計をしたと伝えられる名園で、国の特別史跡・国の特別名勝に重複指定されています…
世界文化遺産「古都京都の文化遺産」の構成資産のひとつが醍醐寺。歴代座主が居住する本坊的な機能を有しているのが三宝院です。庭園は、豊臣秀吉が基本設計をしたと伝えられる名園で、国の特別史跡・国の特別名勝に重複指定されています…
「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録される醍醐寺(だいごじ)。醍醐寺には、上醍醐、下醍醐の伽藍に、あわせて6棟の国宝、10棟の重要文化財の建物がありますが、下醍醐にある五重塔は父・醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇…
JR京都駅烏丸口の正面にそびえ立つ京都タワーは、地下3階、地上9階のビルの屋上に昭和39年に設置された地上131mの展望塔で、ろうそく形のユニークなフォルムが印象的。最上階の展望室は地上100mにあり市内はもちろん好天の…
京都市の妙法院、青蓮院と並ぶ天台宗三門跡(門跡=皇族や、貴族の子弟が法統を伝えている寺)のひとつが大原の里にある三千院(三千院門跡)。最澄(さいちょう)が比叡山東塔に円融房と称した堂を建立したしたのが起こり。明治4年に現…
明治37年12月20日に京都府議会議事堂を併設した京都府庁として建築されたのが、国の重要文化財に指定される京都府庁旧本館。昭和46年まで京都府庁の本館として、さらに現在も府政情報センター、選挙管理委員会などとして使われ、…
京都市北区鷹峯(たかがみね)にある、室町時代創建の曹洞宗の寺、源光庵(げんこうあん)。正式名は、鷹峰山寶樹林源光庵で、本尊は釈迦如来。本堂にある2つの窓が特徴的で、ひとつは「悟りの窓」、もう一方は「迷いの窓」と呼ばれ、哲…
京都市左京区、曼珠院(まんしゅいん)近くにあり、創建は貞観年間(859年〜877年)とも伝えられる古社、鷺森神社(さぎもりじんじゃ)。もとは赤山禅院(せきざんぜんいん)の近くにありましたが、応仁の乱の兵火で現在修学院離宮…
平安時代以前に疫神(えきしん)を祀る社があった地に建つ古社が今宮神社。正暦5年(994年)、都の悪疫退散を祈り、神輿を造営し、紫野御霊会(むらさきのごりょうえ)を営んだのが今宮神社の始まりです。本社には大己貴命(おおなむ…
京都盆地の北にある周囲1.5km、面積9haの深泥池(みぞろがいけ、みどろがいけ)。一帯に広がる水生植物群落は、国の天然記念物に指定されています。池内の各所に氷河時代の生き残りと考えられる北方系の動植物が生育。ミズゴケ湿…
臨済宗妙心寺派の妙心寺の塔頭(たっちゅう=支院)のひとつで、波多野出雲守重通が応永11年(1404年)に創建したのが退蔵院。妙心寺の塔頭の中でも屈指の古刹で、退蔵院の庭園は妙心寺の庭園を代表する傑作です。室町時代、狩野元…
京都市街を流れる鴨川の上流、貴船川の畔にある貴船神社(きふねじんじゃ)は奈良時代の創建で、高靈神(たかおかみのかみ)を祀る古社。全国に約450社ある貴船神社の総本社で、水を司る神様を祀り、農耕のための信仰を集めてきました…
下御霊神社の境内に湧き出す湧水。手水舎に注ぎ出すが水をくみに来る人も多い名水のひとつ。京の三名水の一つに挙げられている梨木神社の染井と同じ水脈で、毎日くみに来るという地元の人も多いとか。実は、長きにわたって枯れていた井戸…
社伝によれば、貞観5年(863年)、京に創建という古社が下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)。創建当初は出雲氏一族の居住地にあった下出雲寺の鎮守社だったという。古来から京都御所の産土神(うぶすながみ=土地を守る神様)として…
承和年間(834年~848年)、山代淡海(やましろのおおえ)が国家鎮護のために創建したと伝わる古刹が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)。六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界をさし、平安時代に東…
平安初期に厄除け、旅行安全の神として建立された古社が、京都市東山区粟田口に鎮座する粟田神社(あわたじんじゃ)。石段下の道は旧東海道・東山道にあたり、一帯は「京の七口」のひとつ粟田口にあたります。源義経は奥州に向かう際に、…
平安京の鬼門にあたるため、桓武天皇(かんむてんのう)が不動明王を安置したことに始まる真言宗の単立寺院が狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)。明治の廃仏毀釈後荒廃したものを昭和19年に再興。現在は芸事の上達や交通安全祈…
社伝によれば、渡来系・秦氏族の秦伊呂巨具(はたのいろこぐ)によって和銅4年(711年)創建という古社で、平成23年に鎮座1300年を迎えたのが京都・伏見に鎮座する伏見稲荷大社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体が神域。商…
天正10年(1582年)6月2日、主君・織田信長を本能寺で討った明智光秀ですが、備中高松城(現・岡山県岡山市)から戻った羽柴秀吉軍と6月13日、山崎の戦いで激戦を展開。これに敗れて坂本城へと落ち延びる途中、小栗栖の藪で落…