日光東照宮・御仮殿
日光東照宮参道途中、一の鳥居の東側、日光東照宮宝物館近くにあるのが御仮殿(おかりでん)。御本社を修理する際に、祭神を一時的に遷すための御殿で、現存する建物は3代将軍・徳川家光の造営による寛永16年(1639年)の建立。国…
日光東照宮参道途中、一の鳥居の東側、日光東照宮宝物館近くにあるのが御仮殿(おかりでん)。御本社を修理する際に、祭神を一時的に遷すための御殿で、現存する建物は3代将軍・徳川家光の造営による寛永16年(1639年)の建立。国…
栃木県日光市の日光山内、勝道上人日光開山の地である四本龍寺から明治の館方面に歩いたところにあるのが朱塗りの児玉堂。伝承によれば弘仁11年(820年)、空海(弘法大師)が虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊に堂を建立したの…
日光東照宮への参詣道として江戸時代初期に整備された街道が日光杉並木街道。杉の植栽は徳川譜代の家臣である松平正綱・正信父子が行なっていますが、日光山内、神橋近くに立つ並木寄進碑は、慶安元年(1648年)、杉の植え付けを終え…
栃木県日光市、日光山内の入口、神橋・日光橋近くの高台に建つのが本宮神社。日光二荒山神社の別宮ですが、神護景雲元年(767年)、前年に紫雲龍寺(四本龍寺)の堂を建立した勝道上人(しょうどうしょうにん)が創建という日光開山の…
栃木県日光市の日光山内にある二荒山(日光山)発祥となる寺が四本龍寺(しほんりゅうじ)。天平神護2年(766年)、日光開山の祖である勝道上人(しょうどうしょうにん)が大谷川の激流を渡り開山した、輪王寺の前身となる寺(創建時…
世界文化遺産「日光の社寺」を構成する二社一寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)のルーツとなるのが、神橋近く、日光山内の高台に位置する四本龍寺(しほんりゅうじ)。その境内に聳える三重塔は、国の重要文化財(登録は輪…
2024年12月21日(土)8:00〜、栃木県日光市の日光山輪王寺で『御供加持』(ごくうかじ)が行なわれます。日光山輪王寺三仏堂境内で行なわれる歳末恒例の餅つきが、『御供加持』。日光連山に峰修行に向かう山伏が出発に際し、…
毎年8月第1金曜19:00~21:00、栃木県日光市の古河電工日光営業所で『日光和楽踊り』が行なわれます。大正2年9月、大正天皇・皇后両陛下が日光電気精銅所への行幸啓。天皇が民間企業を訪問されるのは初めてで、その大任を果…
2024年7月26日(金)~7月27日(土)、栃木県日光市で鬼怒川・川治温泉の夏の一大イベント『第56回龍王祭』が開催されます。龍王峡(神事)での神事が金曜11:00〜、鬼怒川温泉の祭りが金・土曜18:00〜22:00に…
毎年7月31日~8月7日、栃木県日光市で『男体山登拝講社大祭』が行なわれます。登拝祭(とはいさい)は、二荒山神社中宮祠(ふたらさんじんじゃちゅうぐうし)の最大の祭礼。神仏習合の奈良時代末から連綿と続き、男体山信仰に根ざし…
2019年7月20日(土)~8月4日(日)の金・土・日曜18:00~21:00、栃木県日光市で『湯西川温泉竹の宵まつり』が開催されます。湯西川温泉の商店街を会場に、七夕をロマン化したイベントで、夏の夜の温泉街を竹灯ろうが…
2024年6月1日(土)〜6月2日(日)、栃木県日光市の湯西川温泉で『平家大祭』が行なわれます。平家落人伝説で知られる湯西川温泉で、平家絵巻行列など数々の催しが行なわれます。この祭りは昭和60年6月の「平家の里」オープン…
栃木県日光市と群馬県片品村の境、金精山(2244m)と温泉ヶ岳(ゆせんがたけ/2333.1m)の鞍部が金精峠(こんせいとうげ/2024m)。峠越えの旧道も残されていますが、国道120号(金精道路)は峠の直下を全長755m…
栃木県日光市、中禅寺湖南岸に位置する半月山(はんげつやま)は標高1753.2mで、中禅寺湖、そして日光連山から日本百名山に選定された男体山(2486m)、日光白根山(奥白根山/2578m)を眺望する絶好のポイントになって…
中禅寺湖の湖畔でひときわ目立つ標高2486mのコニーデ型の独立峰が、男体山(なんたいさん)。江戸時代まで「日光山」と呼ばれた神仏習合信仰の中心的な存在で、日光開山の勝道上人の開山。「日光山」は神仏分離令で日光二荒山神社と…
日光国立公園に数多くある堰き止め湖の中で一番大きいのが中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)。標高1269m、周囲21km、南北1.8km、東西6.5kmの大きさ。最深部は163mで、男体山が約2万年前に噴火した際にできたものと推定…
奥日光(栃木県日光市)の最奥、標高1478mにある湖が湯ノ湖。三岳(みつだけ)の噴火の際の溶岩流により、湯川が堰き止められて誕生した堰き止め湖で、周囲は3kmほどの小さい湖。朝もやのかかる中、湧水による透明度の高い水にシ…
富国強兵政策を背景に20世紀初頭には国内の銅の4割を生産していたという足尾銅山。慶長15年(1610年)に鉱床が発見され、明治16年に生産量日本一になっています。昭和9年に鉱毒流出事件を起こしたことでも有名で、閉山したの…