稗ノ尾河川公園(稗ノ尾の眼鏡橋)
長崎県東彼杵郡波佐見町、長崎県道1号(佐世保嬉野線)沿いを流れる川棚川に架る「石造り双円アーチ橋」が稗ノ尾の眼鏡橋(ひのおのめがねばし)。明治41年築の石造アーチ橋が下流400mの小樽郷に移築保存され、一帯が稗ノ尾河川公…
長崎県東彼杵郡波佐見町、長崎県道1号(佐世保嬉野線)沿いを流れる川棚川に架る「石造り双円アーチ橋」が稗ノ尾の眼鏡橋(ひのおのめがねばし)。明治41年築の石造アーチ橋が下流400mの小樽郷に移築保存され、一帯が稗ノ尾河川公…
神奈川県横浜市栄区長倉町を流れるいたち川源流部に架かる橋長5.5m、幅員1.5mの橋が、昇龍橋。親柱に「大正四年九月吉日」と刻まれていますが、親柱は御影石で、石橋本体は鎌倉石(今泉石)なので、橋が架橋されたのは大正4年以…
山形県上山市、羽州街道の宿場、楢下宿(ならげしゅく)の真ん中を流れる金山川に、明治15年に架橋された石造アーチ橋が覗橋(のぞきばし)。新町に明治13年架橋の石造アーチ橋「新橋」があり、2つを合わせてメガネが完成し、覗橋を…
熊本県荒尾市上井手を流れる関川に架る石造アーチ橋(眼鏡橋)が岩本橋。藩政時代の岩本番所が廃止された後、阿蘇凝灰岩の切岩を二重にして架橋された石橋で、熊本県の文化財に指定されています。江戸時代に霊台橋、通潤橋など、名橋を築…
熊本県天草市本渡町を流れる町山口川に架かる石造アーチ橋が山口の施無畏橋(やまぐちのせむいばし)。明治15年に、染岳の霊場・染岳観音院への登山口にある無畏庵(むいあん)の参道に架橋されたもの。明治4年に眼鏡橋が架けられまし…
熊本県天草市楠浦町を流れる方原川(ほうばるがわ)に架る石造アーチ橋が楠浦の眼鏡橋(くすうらのめがねばし)。明治11年、天草の下浦石(砂岩)を使い、庄屋・宗像堅固(むなかたけんご)が架橋したもので、橋の完成で楠浦宮地往還の…
長崎県佐世保市吉井町を流れる佐々川本流に架る2連石造アーチ橋。皇居・二重橋をイメージして大正11年に架橋された優美な石橋です。橋長36.0mは、現役の石橋としては長崎県内最長。幅員6.4mは、馬車がすれ違える幅(6mを確…
熊本県下益城郡美里町にある津留川を跨ぐ石造アーチ橋が大窪橋(おおくぼばし)。幕末の嘉永2年(1849年)、砥用手永(ともちてなが)の惣庄屋・篠原善兵衛(ささはらぜんべえ)が架橋したもので、担当した石工は岩尾野(現・美里町…
大分県竹田市、大野川水系の笹無田川と道路をまたぎ、笹無田石拱橋(せっこうきょう)とも呼ばれる、延長59m、橋高30mの石造アーチ橋が若宮井路笹無田水路橋(わかみやいろささむたすいろきょう)。明治34年通水の若宮井路の石造…
岡城下から臼杵城下に至る街道(岡城路)途中、大分県豊後大野市・臼杵市の境を流れる大野川の支流・三重川の柳井瀬に架かる石造のアーチ橋が虹澗橋(こうかんきょう)で、国の重要文化財。虹澗は、谷川にかかる虹という意味で、莫大な工…
大分県豊後大野市清川町、奥嶽川に架かる2つの石造アーチ橋が、轟橋(とどろばし)と出会橋(出會橋)。橋脚の両端を結ぶスパン(径間)では、アーチ式石造橋として全国1位(轟橋)と2位(出会橋)を誇っています。2連アーチの轟橋の…
長崎の眼鏡橋など九州各地には石造りのアーチ橋が数多くありますが、神埼市背振町にある眼鏡橋もそのひとつ。脊振めがね橋と呼ばれるその橋は、明治24年に総工費875円で城原川に架けられた長さ20m、幅6mの石造アーチ橋で、旧背…
熊本県美里町を流れる緑川の本流・船津峡に架かる弘化4年(1847年)に建造された石造アーチ橋で、国の重要文化財に指定。本流の難所としても知られる船津峡に、人力のみで建造され、わずか7ヶ月で完成したと伝えられています。全長…
鹿児島駅の東、稲荷川河口の祗園之洲は、島津斉彬(しまづなりあきら)の命により築かれた薩摩藩の台場(祇園之洲砲台)があった場所で、生麦事件に端を発した文久3年(1863年)の薩英戦争では砲撃戦が行なわれた場所です。稲荷川を…
大分県中津市、本耶馬渓(ほんやばけい)を流れる山国川に架けられた、全長116mの石造アーチ橋が耶馬渓橋。荒瀬井堰のやや下流に位置し、国の名勝・青の洞門にもほど近い場所に架かっています。大正12年の架橋で、平成11年には改…
和歌浦に架かるアーチ型の石造人道橋。片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して架けられたもので、幕末の1851(嘉永4)年の竣工。紀州東照宮の『和歌祭』に紀州徳川家や東照宮の神官が御旅所に向かう「御成道」に架けられ…
南房総白浜を流れる長尾川を流れる石造アーチ橋。関東地方では唯一の3連の石造アーチ橋で、3連ですが、川面に映る姿から「めがね橋」と通称されています。明治21年の架橋で、材料となった石は資金不足のため、長尾川河口のみずるめの…