西郷大橋
日本海に浮かぶ隠岐(おき)の島後(どうご=隠岐の主島)の玄関口、フェリー、高速船も発着する隠岐の島町の西郷湾(西郷港)に架る美しいアーチ橋が西郷大橋。フェリーターミナルのある西郷の市街地と隠岐世界ジオパーク空港のある岬町…
日本海に浮かぶ隠岐(おき)の島後(どうご=隠岐の主島)の玄関口、フェリー、高速船も発着する隠岐の島町の西郷湾(西郷港)に架る美しいアーチ橋が西郷大橋。フェリーターミナルのある西郷の市街地と隠岐世界ジオパーク空港のある岬町…
西暦奇数年の10月19日、島根県隠岐の島町で『隠岐武良祭風流』(おきむらまつりふうりゅう)が行なわれます。隠岐・島後の隠岐の島町中村地区の八王子神社に鎮座する日神と一之森神社の月神を祭場で引き合わせるという日月陰陽和合の…
毎年6月5日10:00〜、島根県隠岐の島町の玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)で『御霊会風流』(ごれえふりゅう)が行なわれます。御霊会とは例祭のこと。悪霊退散の儀礼から来る名で、稲作の仕事が本格化する前に悪霊退散を…
1221(承久3)年に起こった承久の乱により隠岐に流された後鳥羽上皇(後鳥羽法皇)を慰めるために始まったと伝えられるのが隠岐の「牛突き」。隠岐国分寺横に造られた屋根付き闘牛場「隠岐モーモードーム」では天候に左右されること…
島前を代表する海岸が国賀海岸なら島後を代表するのが白島海岸(しらしまかいがん)。島後(隠岐の島)の北側に突き出た白島崎と、沖ノ島、白島、松島、小白島などの周辺の島々を総称して白島海岸と呼んでいます。白島崎は高さ50〜20…
若狭の国から隠岐に来て800歳まで生きた八百比丘尼(やおびくに)が一晩で植えた松の一部と伝えられているのが屋那の松原。屋那の海岸沿いの長さ400m、幅40mに200本余りの老松が茂っており、「白砂青松百選」に選ばれていま…
隠岐の島町(旧西郷町)の釜地区にある現存する隠岐最古の木造住宅が佐々木家住宅。1836(天保7)年に建てられた母屋は、杉皮葺き、石置き屋根の切妻平屋建てという趣のある建物で、3か所に設けられた戸口、二重天井や太い大黒柱な…
島後の隠岐の島町(旧五箇村)久見崎の沖にある高さ20mの奇岩。ローソク島の名の通り、まさにろうそく状の岩で、土台となっている岩礁はまさにろうそくの燭台ですし、頂部に突き出ている部分はロウソクの芯にそっくり。しかも岩の先端…
隠岐国(おきのくに)の一之宮でもある水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、隠岐の島町(島後)の五箇地区にある黒松に囲まれた古社。創建は神代(崇神天皇の時代)といわれ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と…
隠岐の漁具、山樵具、農耕具、生活用具、郷土芸能資料などを展示した資料館が隠岐郷土館。レトロな擬洋風建築は明治18年に隠岐島4郡(周吉、穏地、海士、知夫)の郡役所として西郷湾の近くに建てられ、郡役所、隠岐島庁、隠岐支庁舎と…
聖武天皇の勅願で742(天平14)年、諸国に建立された国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺)のひとつで、隠岐国(おきのくに)に建立されたのが隠岐国分寺。明治2年の廃仏毀釈によって焼き払われるまで後継寺院である隠岐国分寺の…
隠岐の島町の西海岸、中ノ島、西ノ島の島前を眺めるのが那久岬(なぐさき)。岬突端には白亜の那久岬灯台が建っていますが、岬の根元部分の標高70mほど高台に位置するのが那久展望所。島前を一望にし、夕日の名所となっているほか、灯…
億岐家(おきけ)は、大国主命の後裔といわれ、代々隠岐国造(おきのくにのみやつこ)、隠岐国国司、玉若酢命神社宮司を務めた社家の家系。玉若酢命神社の社家である億岐家住宅・宝物殿には国の重要文化財に指定された隠岐国驛鈴(駅鈴=…
隠岐の島の南、玄関口である西郷港近くの甲野原にある古社が玉若酢命神社(たまわかすのみことじんじゃ)。社伝では、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父・景行天皇が皇子を各国に分置し、隠岐国に遣わされた大酢別皇子(おおすわけの…
隠岐の島町の横尾山(572.8m)から流出する那久川にかかる滝で、「日本の滝百選」に選定の名瀑が壇鏡の滝(だんぎょうのたき)。落差45mの雄滝(右)、落差約35mの雌滝(左)と2本が並んで懸かり、雄滝は滝の裏側の岩窟に回…
平成18年1月に隠岐青年会議所によって、水木しげるロードの隠岐への延長に合わせて、境港から隠岐までのフェリー「しらはま」(2343トン)に鬼太郎をペイントした鬼太郎フェリーが就航し、平成18年3月鳥取県から鬼太郎に「とっ…