日光山輪王寺大猷院・二天門

日光山輪王寺大猷院・二天門

3代将軍・徳川家光の廟所、日光山輪王寺大猷院(にっこうざんりんのうじたいゆういん)で、仁王門から石段を上った先にある二番目の門が二天門です。向かって左手に持国天、右手に増長天の二天を祀るのが名の由来です。近年まで増長天は広目天と誤認されていたので、誤った表記の案内書も多数存在します。

世界遺産「日光の社寺」で最大の楼門

承応2年(1653年)創建の高さ約11.6m、幅約9.6mという巨大な門は、陽明門を凌いで日光二社一寺では最大(陽明門より、高さが50cm、幅は2.5mほど大きい)。
186体の彫刻が施されています。

正面に掲げられた扁額(へんがく)は、後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)による筆で、これは陽明門と同じ。

右手の像には「寛政九巳~廣目」という墨書があり、寛政9年(1797年)に造立された広目天だとされてきました。
筆を持つはずの広目天が刀を持っていることや、古い写真との相違などから調査が行なわれ、増長天であることが確認されたのです(輪王寺では1700年代後半から240年に渡って間違えていたと確認し、訂正しています)。

門の裏側には風神像(像高117cm)と雷神像(像高114cm)が安置されていますが、もともとは日光東照社(現・日光東照宮)の陽明門に安置されていたもの。
明治初年の神仏分離で、日光東照社(神仏習合)が日光東照宮(神社)となった際に、仏式の建築群だった大猷院(神仏分離以降、日光山輪王寺の所有)の二天門に遷されたもの。
当初の像は、輪王寺宝物殿で保存され、二天門に置かれているのは複製です。

二天門の階段下に奉納された灯籠は、寺社奉行、老中を務めた松平武元(まつだいらたけちか)で寛延3年4月20日(1750年5月25日)の銘があります。
さらに階段下には松平定行(まつだいらさだゆき=於大の方は祖母、徳川家康は伯父)、老中・松平乗寿(まつだいらのりなが)奉納と重臣の奉納が並んでいます。

二天門のすぐ前に配されている銅灯籠は、老中首座・酒井忠清(さかいただきよ)と、会津藩主・保科正之(ほしなまさゆき=徳川家康の孫、徳川家光の異母弟)という、時の権力者の奉納です。

日光山輪王寺大猷院・二天門
名称 日光山輪王寺大猷院・二天門/にっこうさんりんのうじたいゆういん・にてんもん
所在地 栃木県日光市山内2300
関連HP 日光山輪王寺公式ホームページ
電車・バスで JR日光駅・東武日光駅から世界遺産めぐり循環バスで13分、大猷院二荒山神社前下車
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約4km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光山輪王寺大猷院 TEL:0288-53-1567
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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日光山輪王寺大猷院

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