東京都文京区小日向4丁目、茗荷坂近くにある曹洞宗の寺が、林泉寺(りんせんじ)。江戸時代初めの慶長7年(1602年)、伊藤半兵衛長光を開基、通山宗徹を開山として創建。境内にあるしばられ地蔵は、盗難や物を紛失した人が、願をかける際に地蔵を縄で縛るという風習で知られています。
荒縄で全身をぐるぐる巻きにされてた、しばられ地蔵で有名
寺は、創建時には普蔵院と号していましたが、寛文3年(1663年)に林泉寺と改めています。
明治29年『帝国文庫』に収録された『大岡政談』16編のなかに大岡忠相(おおおかただすけ)が裁いた事件のひとつに「しばられ地蔵」がありますが、実はこの話は、大岡忠相とはまったく無関係で、江戸時代後期に講談師が創作したもの(『大岡政談』のなかに大岡忠相が実際に裁いた事件はひとつしかありません)。
それでも大岡忠相の名奉行ぶりは、講談などを通じて江戸市中に広まり、多くの参詣者を集めたのです。
江戸時代中期、享保17年(1732年)に俳人・菊岡沾涼(きくおかせんりょう)が著した江戸の地誌『江戸砂子』(えどすなご/『江戸砂子温故名跡誌』)にも、しばられ地蔵が名物となっていることが記され、江戸時代後期の『江戸切絵図』小石川絵図にも林泉寺にわざわざ「シバラレ地蔵」という特記がはいっています。
盗難や物を紛失した人が、願をかける際に地蔵を縄で縛り、見事に願いが叶えば、縄を解くという風習で、その「しばられ地蔵」の舞台となったのは、当時、大川(隅田川)の畔にあった南蔵院のしばられ地蔵だといわれていますが、その風習は、林泉寺とまったく同じです。
しばられ地蔵は林泉寺を開いた伊藤半兵衛が両親(光背に一相道円信士、即無貞心信女という法名が刻まれています)の供養のために建てた地蔵尊で、南蔵院のしばられ地蔵よりも古い歴史があります。
むしろ明和8年(1771年)の『御府内寺社備考』、文化11年(1814年)の『十方庵敬順遊歴雑記』にも林泉寺のしばられ地蔵が記されているので、講談などの元ネタは、林泉寺だったのかもしれません。
林泉寺では、坐禅会、写経なども行なわれているので、希望があれば問い合わせを。
林泉寺(しばられ地蔵) | |
名称 | 林泉寺(しばられ地蔵)/りんせんじ(しばられじぞう) |
所在地 | 東京都文京区小日向4-7-2 |
関連HP | 文京区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ茗荷谷駅から徒歩すぐ |
問い合わせ | 林泉寺 TEL:03-3943-0605 |
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