上野恩賜公園・滝廉太郎像

上野恩賜公園・滝廉太郎像

東京都台東区上野公園、上野恩賜公園の 旧東京音楽学校奏楽堂前にあるのが、滝廉太郎像(たきれんたろうぞう)。『荒城の月』で名高い滝廉太郎は、明治27年に東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学、卒業後、研究科に進んで、ピアノ授業の嘱託教師となり音楽家として世にデビューしています。

滝廉太郎ゆかりの旧東京音楽学校奏楽堂前に建つ

上野恩賜公園・滝廉太郎像

滝廉太郎(瀧廉太郎)は、明治12年8月24日、東京府芝区南佐久間町2丁目18(現・東京都港区西新橋)に生誕。
滝家は、豊後国日出藩の家老職を代々務めた家柄で、父の滝吉弘は維新後に内務官僚となり、各地を転々としますが、父の転勤に伴い、豊後岡藩の藩校・由学館(ゆうがくかん)跡に建てられた竹田高等小學校に転校しています。

明治31年に東京音楽学校の本科を卒業し、研究科で学んでいた時代に、『荒城の月』(土井晩翠作詞)の懸賞に応募し、見事作曲を担ったのです。

旧東京音楽学校奏楽堂は、明治23年築で、日本最古の洋式音楽ホールを擁した洋館。
まさに滝廉太郎が通い、嘱託教師を務めた時代の建物です。

奏楽堂前に配された滝廉太郎像の作者は、彫刻家・朝倉文夫(あさくらふみお)。
朝倉文夫は、大分県大野郡上井田村(現・豊後大野市朝地町)出身で滝廉太郎とは同じ竹田高等小學校に通った同窓生で、朝倉が4歳年下という関係です。
23歳の若さで夭折(ようせい)した滝廉太郎を偲ぶ像は、上野恩賜公園のほか、大分市の滝廉太郎終焉の地、滝家ゆかりの地・日出町の二の丸館前、そして岡城の二の丸跡にも立っていますが、すべて同じ作品です。

上野恩賜公園・滝廉太郎像
名称 上野恩賜公園・滝廉太郎像/うえのおんしこうえん・たきれんたろうぞう
所在地 東京都台東区上野公園5-20
関連HP 上野恩賜公園公式ホームページ
電車・バスで JR上野駅から徒歩5分
ドライブで 首都高速上野ランプから500m
駐車場 上野恩賜公園第一駐車場(100台/有料)
問い合わせ 上野恩賜公園管理所 TEL:03-3828-5644/FAX:03-3827-7752
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
岡城・滝廉太郎銅像

岡城・滝廉太郎銅像

大分県竹田市竹田、岡城の二の丸跡に立つのが、滝廉太郎銅像。作曲家・滝廉太郎(瀧廉太郎)は、土井晩翠作詞の『荒城の月』の作曲で有名。旧制中学校唱歌の懸賞募集の作品で、岡城をイメージして作曲したといわれ、銅像は、滝廉太郎と同窓で4歳年下の朝倉文

 

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