岡本静嘉堂緑地

岡本静嘉堂緑地

東京都世田谷区岡本2丁目、かつては三菱財閥創業者・岩崎家の庭園として管理されていた場所ですが、戦後公開緑地(世田谷区の管理地)となったのが、岡本静嘉堂緑地(おかもとせいかどうりょくち)。静嘉堂は、大正13年にこの地に移転した静嘉堂文庫(岩崎家が創設した研究者向けの専門図書館)に由来する名前です。

静嘉堂文庫、岩崎家廟堂などがある岩崎家ゆかりの地

岡本静嘉堂緑地
静嘉堂文庫(大正13年築)

三菱財閥が第2代総帥岩崎弥之助(いわさきやのすけ)・第4代総帥岩崎小弥太(いわさきこやた=ケンブリッジ大学で歴史学を学び、三菱企業組織を確立)父子が所有した庭園が前身で、国分寺崖線の一画にあります。
多摩川、富士山を眺望、豊かな湧き水と自然林が残される一帯には、明治〜昭和初期、財界や政界の要人が別荘地を建てていますが、岩崎家もそのひとつ。
敷地内には岩崎弥之助没時に、岩崎小弥太が納骨堂として建てた岩崎家廟堂(岩崎家玉川廟)がありますが、ジョサイア・コンドルの設計。
大正13年建築で英国風デザインのスクラッチタイル貼りが瀟洒な静嘉堂文庫もあって、岩崎家の庭園時代の趣を残しています(静嘉堂文庫美術館の展示ギャラリーは、令和4年10月に千代田区丸の内の明治生命館1階に移転)。
昭和20年12月2日、財閥解体のなか、岩崎小弥太は67歳で没し、その影響もあって、管理が世田谷区に移行しました。

緑地内は、戦後ほぼ手つかずの状態だったため、アラカシ、シラカシ、スダジイ、マテバシイなどの照葉樹が茂り、草地の「バッタ広場」など、国分寺崖線沿いの自然が残されています(「生物の森」部分は立入りが不可)。
崖線の南側斜面では湧水も確認でき、東京の名湧水57選にも選定されています(世田谷区内では烏山弁天池、等々力渓谷・等々力不動尊と3ヶ所)。

土・日曜、祝日は開園していないので注意が必要。

岡本静嘉堂緑地
名称 岡本静嘉堂緑地/おかもとせいかどうりょくち
所在地 東京都世田谷区岡本2-23-42
関連HP 世田谷区公式ホームページ
電車・バスで 東名高速道路東京ICから約1.5km
ドライブで 東名高速道路東京ICから約1.5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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