大雲院

中国三十三観音霊場第三十三番札所(中国観音霊場の結願寺)となる天台宗の寺。1650(慶安3)年、鳥取藩祖・池田光仲の創建で、創建当初は淳光院と号していたが、1814(文化11)年に大雲院と改称。鳥取東照宮の別当寺で、往時には東照宮に隣接して建っていましたが明治の神仏分離令で現在の地に移転しています。

藩政時代には将軍家ゆかり、天台宗の筆頭寺院として繁栄

創建当初の大雲院は、鳥取城の鬼門(艮/うしとら=東北)を封じるため、城の東北にあたる樗谿に鳥取東照宮の別当寺として創建(当初は乾向山東隆寺淳光院)。
藩政時代は鳥取藩の徳川将軍家位牌所として、上野寛永寺に埋葬された将軍の位牌を安置して年回法要(年忌)を営んでいました。藩主の祈願所としての祈祷も執り行なって繁栄しました。明治の神仏分離・廃仏毀釈、さらには昭和18年の鳥取大震災、戦後の農地解放で、寺地や伽藍は大幅に縮小していますが、徳川将軍家の位牌堂では現在も法要が行なわれています。
藩政時代の大雲院は、鳥取藩領内天台宗の触頭として諸寺を管轄。鳥取の観音院、覚寺の摩尼寺、三朝の三徳山三佛寺、倉吉の長谷寺など名だたる古刹、名刹も将軍家の威光にはひれ伏し、藩政時代には大雲院の末寺となっていました(末寺の数は因幡12ヶ寺、伯耆8ヶ寺の計20ヶ寺)。

本堂中央に鎮座する阿弥陀三尊を取り巻く外陣に西国三十三番札所の観音像三十三体を配して極楽浄土を体現しています。

伏見天皇筆の金字法華経2巻(巻第二、第四)は国の重要文化財。中国三十三観音霊場第三十三番札所で、本尊は千手観音菩薩像。
毎月最終日曜には不動護摩が焚かれています。

ご本尊の千手観音菩薩像
鳥取藩でもっとも格式の高い「四ヶ寺」筆頭
1617(元和3)年、姫路藩から因幡・伯耆32万石の鳥取藩主に転封となった池田光政は、城下町の拡張工事を実施。まず、袋川が開削して総構えとし、薬研堀を築いて鳥取城から薬研堀までが武家屋敷地区、薬研堀から袋川までが町屋地区との町割りを行ないました。寺格の高
い四ヶ寺、八ヶ寺が栗谷、上町、寺町などに配して、城下の防御を整えています。大雲院、興禅寺、龍峯寺、慶安寺が最も格式の高い四ヶ寺。続いて日香寺、芳心寺、真教寺、最勝院、観音院、円城院、法泉寺、妙要寺が八ヶ寺とされました。当初の大雲院があった場所は、現在の樗谷公園。樗谷公園には、藩政期の大雲院の遺跡が眠っています。

大雲院のおもな年中行事

1月1日~3日/新年無病息災護摩祈祷
1月28日/初不動=その年最初のお不動様の縁日
2月1日~3日/節分厄除け大護摩祈祷
2月3日/元三大師大般若転読会=大般若経600巻の転読
3月彼岸中日/春彼岸法要
5月8日/花祭り=お釈迦様の誕生日(旧暦4月8日)を祝います
5月18日/観音護摩供養
8月19日/施餓鬼供養=お盆
8月23日/地蔵まつり=地蔵盆
10月18日/観音謹摩供養
12月28日/納め不動=毎月28日はお不動様の縁日で、年の最後の縁日
12月31日/お焚き上げ・除夜の鐘

大雲院
名称 大雲院/だいうんいん
所在地 鳥取県鳥取市立川町4-24
関連HP 鳥取市観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR鳥取駅から徒歩27分
ドライブで 鳥取自動車道鳥取ICから約6km
駐車場 境内駐車場(無料)を利用
問い合わせ 大雲院 TEL:0857-22-5608/FAX:0857-22-5630
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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