坪井九右衛門旧宅

坪井九右衛門旧宅

山口県萩市平安古町、往時の地割を残した萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区に選定される平安古(ひやこ)の鍵曲(かいまがり)すぐ近くにあるのが、坪井九右衛門旧宅(つぼいくえもんきゅうたく)。坪井九右衛門は、尊王攘夷派によって野山獄で非業の死を遂げた長州藩士です。

長州藩佐幕派(俗論派)のリーダー・坪井九右衛門の邸宅

坪井九右衛門は157石を有した長州藩士で、天保の改革で活躍するも、幕府への恭順を目指した佐幕派(俗論派)のリーダーとして尊王攘夷派(徹底抗戦を主張した長州正義派)に捕らえられ、野山獄で獄死しています。

かつて重臣の多くは三の丸に住んでいましたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれ、平安古にも右田毛利家(1万6000石)の下屋敷、寄組の児玉家(3084石)、粟屋家(691石)、大組の町田家(66石)などが武家住宅を構えましたが、そのうちのひとつが、坪井九右衛門旧宅です。

坪井九右衛門の旧宅は、藩政時代の地割を色濃く残す平安古のなかでも、長屋門付近から土蔵、本邸の式台、庭などに当時の武家屋敷や暮らしぶりが伝わってくる造りになっています。
周辺には、平安古の鍵曲、旧児玉家庭園(平安古かいまがり交流館)、旧田中別邸(旧田中義一男爵別邸)、かんきつ公園などもあり、城下町散策に絶好のエリアのひとつです。

ちなみに、坪井九右衛門は、寛政12年(1800年)、佐藤家(内閣総理大臣・岸信介、佐藤栄作兄弟の実家)に生まれ(岸信介、佐藤栄作は兄の玄孫にあたります)、幼少時に坪井家の養子に。
長州藩の改革派(後の正義派)・村田清風の藩政改革に協力して功を挙げますが、安政2年(1855年)、村田清風が中風で没し、政敵の保守佐幕派(俗論派)・椋梨藤太(むくなしとうた)の台頭で、失脚。
椋梨藤太が失脚して再度、登用されますが、佐幕派を支持したため、尊王攘夷に傾く藩内で孤立し、文久3年10月28日(1863年12月8日)、野山獄で処刑されています。
幕末の長州藩内では倒幕か佐幕かを巡って藩士が対立し、多くの血が流れていますが、坪井九右衛門もそのひとりです。

坪井九右衛門旧宅
名称 坪井九右衛門旧宅/つぼいくえもんきゅうたく
所在地 山口県萩市平安古町
電車・バスで JR玉江駅から徒歩15分。またはJR玉江駅から萩循環まぁーるバス西回りで5分、平安古南団地前下車、徒歩3分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約44kmで中央公園駐車場
駐車場 中央公園駐車場(146台/有料)
問い合わせ 萩市文化財保護課 TEL:0838-25-3299
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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