青木周弼旧宅

青木周弼旧宅

山口県萩市呉服町、中級武士の暮らした江戸屋横丁なかほどにあり、木戸孝允(きどたかよし)の生家の3軒南に位置するのが青木周弼旧宅(あおきしゅうすけきゅうたく)。青木周弼は、漢方医学を学んだ後に長崎にシーボルトに西洋医学を学び、後に13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)の侍医となった人物です。

3人の逸材を輩出した青木家の旧宅

青木周弼は、10歳のとき疱瘡にかかった高杉晋作も診療したという藩医。
木戸孝允の父、和田昌景も藩医なので、一帯は医者がふたり住んでいたことに。
青木周弼は幕末当時、日本屈指の蘭学医で、晩年、萩藩(長州藩)内に種痘を実施、コレラ治療にも貢献しています(幕末までに長州藩では30万の子供が種痘を受けています)。
建物は、一般公開されるまで、個人宅として使われていました。
母屋が、来客用と家人用とに分けられているのは、全国から門下生が集まったから。

青木周弼旧宅の前の石柱には「青木周弼 青木研蔵 青木周蔵旧宅地」と3人の名前が刻まれていますが、青木研蔵は、12歳年下の弟で、兄とともに藩内の種痘やコレラ治療に尽力しています。
青木周蔵は長門国厚狭郡生田村(山口県山陽小野田市)の村医の長男で、研蔵の娘・テルと結婚し青木研蔵の養子となり、ふたりの名を取り青木周蔵と改名。
ドイツに留学後、政治の道に転身し、明治22年には外務大臣に就任しています。

観覧には、「萩市文化財施設1日券」が利用できます。

青木周弼旧宅
名称 青木周弼旧宅/あおきしゅうすけきゅうたく
所在地 山口県萩市呉服町2
関連HP 萩市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR萩駅から萩循環まぁーるバス西回りで19分、萩城城下町下車、徒歩3分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約45km
駐車場 中央公園駐車場(146台/有料)
問い合わせ 萩市観光課 TEL:0838-25-3139
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
江戸屋横丁

江戸屋横丁

山口県萩市呉服町、参勤交代で藩主が通った「御成道」(おなりみち)を北限とする呉服町の3本の小路のひとつが江戸屋横丁。西から菊屋、伊勢屋、江戸屋という横丁は、かつてその地にあった豪商の名前。江戸屋横丁には、木戸孝允(きどたかよし)の生家や、青

木戸孝允旧宅

木戸孝允旧宅

山口県萩市呉服町、江戸屋横丁に面して建つのが木戸孝允旧宅(きどたかよしきゅうたく)。幼少時、向かいの桂家の養子となったため、桂小五郎の名もある木戸孝允。養子に出た直後養母が亡くなり、結局この生家で青春時代を過ごしています。国の史跡。萩城下・

旧久保田家住宅

旧久保田家住宅

山口県萩市、萩城下の商家が並ぶ呉服町の御成道沿い、萩随一の豪商だった菊屋家住宅の向かいに建つ商家が旧久保田家住宅。久保田家は、江戸時代後期に近江から萩に移り、初代・久保田庄七が熊谷町の久保田家の分家となり、呉服商を開いたという近江商人。江戸

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ