朝鮮通信使上陸淹留之地の碑

鎖国政策の江戸時代、公式な外交を有した国が朝鮮国。1607(慶長12)年〜1811(文化8)年の間、合計12回の使節団(朝鮮通信使)が来日しています。李氏朝鮮の国王が派遣した使節、通信使が日本本土入りした最初の上陸地が、下関(赤間関)で、関門海峡に面した「阿弥陀寺公園」内に朝鮮通信使上陸淹留之地の碑が立っています。

日韓友好の歴史を刻む

最後の通信使は対馬(つしま)止まりとなりましたが、それ以外の11回は本土最初の地が赤間関だったのです。
滞在地である阿弥陀寺と引接寺には儒学の先進国であった朝鮮の文人から水準の高い文化を吸収しようと多くの藩士、文人が集まったのだとか。

阿弥陀寺は、明治維新の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で赤間神宮となっています。

また長州藩には船島(巌流島)から上関(かみのせき=現在の上関町)まで通信使を護衛する任務を負っていて、徴集した船は600隻を越えたとか。

1711(正徳元)年の来日の際には、長州藩主毛利吉元が自ら接待にあたり、「長門下之関御馳走一番」(長州藩の御馳走が一番)と評されています。

日韓友好の原点として、平成13年に朝鮮通信使上陸淹留(えんりゅう=滞在すること)之地の碑が、建立された。

朝鮮通信使上陸淹留之地の碑
名称朝鮮通信使上陸淹留之地の碑/ちょうせんつうしんしじょうりくえんりゅうのちのひ
所在地山口県下関市阿弥陀寺町
電車・バスでJR下関駅からサンデン交通バス山陽方面行きで10分、赤間神宮前下車、徒歩2分
ドライブで中国自動車道下関ICから約3kmで下関市赤間町駐車場。駐車場から徒歩8分
駐車場下関市赤間町駐車場(300台/有料)
問い合わせ下関市観光政策課 TEL:083-231-1350
引接寺

引接寺

山口県下関市にある浄土宗の寺で、晩年、豊臣秀吉に信任された小早川隆景(こばやかわたかかげ)の菩提寺が引接寺(いんじょうじ)。一帯の唐戸地区は文字通り、唐(中国)への戸(玄関口)。山陽道の起終点にもあたる交通の要衝で、江戸時代には朝鮮通信使の

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ