二尊院(楊貴妃の墓)

古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)に数えられる楊貴妃(ようきひ/719年〜756年)。楊貴妃は唐の第9代皇帝・玄宗の命で悲劇の最期を遂げていますが、実は日本に逃げ、長門国(ながとのくに)の向津具半島(むかつくはんとう)に漂着したのだとか。長門市の二尊院には、楊貴妃の墓と伝承の五輪塔が残されています。

向津具半島は古代から大陸との交流の地だった!

ナツミカン(夏橙)は、江戸時代中期、黒潮に乗って南方から青海島に漂着。
自生したのがルーツと言われるように向津具半島周辺は、大陸からの漂着が数多かったと推測できます。

二尊院境内にある「楊貴妃の墓」と伝えられる五輪塔は、山口県の文化財に指定されています。
さらに楊貴妃の菩提を弔うために安置されたという本尊の二尊仏(阿弥陀如来立像・釈迦如来立像)は国の重要文化財に。

女人守護をはじめ安産・子宝・縁結びの霊験あらたかで、婦人病封じのご利益があると、二尊院はパワースポットとしても注目されています。

平安時代に編纂された『和名類聚抄』によれば向津具は、向国(むかつくに)と記されています。
つまりは、大陸に向かう場所との意。

近くの油谷王屋敷(向津具)遺跡からは弥生時代中期の有柄細形銅剣が出土し、こちらも国の重要文化財に。
というわけで、楊貴妃伝説もまんざら嘘ではない気がしてきます。

二尊院は龍伏山天請寺二尊院が正式名。
寺伝によれば、807(大同2)年、天台宗の開祖・最澄(伝教大師)の開基。
往時には大寺院だったと推測されますが、その後衰退し、江戸時代に毛利綱廣が真言宗の寺として再興しています。

楊貴妃の墓とされる五輪塔と、本尊の二尊仏は鎌倉時代後期の作。
すると、楊貴妃没後500年という空白期間が生じてしまいます。

二尊院(楊貴妃の墓)
名称 二尊院(楊貴妃の墓)/にそんいん(ようきひのはか)
所在地 山口県長門市油谷向津具下3539
関連HP 二尊院公式ホームページ
電車・バスで JR山陰本線人丸駅から大浦行きバスで40分、二尊院口下車
ドライブで 中国自動車道美祢ICから約52km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 二尊院 TEL:0837-34-1065
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