萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)

萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)

山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。大照院とは萩藩(長州藩)の初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)の法号で、隣接地には萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)があり、初代藩主毛利秀就のほか、2代〜12代の偶数代の藩主及び夫人の墓が並んでいます。

2代〜12代の偶数代の萩藩主が眠る

大照院(Daishoin Temple)山口県萩市(Hagi City,JAPAN)

萩藩主毛利家墓所には、旧天樹院墓所、大照院墓所、東光寺墓所(以上、萩市)と香山墓所(山口市)があり、大照院墓所もそのひとつ。
慶安4年(1651年)、初代藩主・毛利秀就の死後、天樹院で火葬されたあと歓喜寺に葬られています。
歓喜寺に墓地造りを始め、明暦2年(1656年)に菩提寺として大照院を改名し、墓地を完工しています。

大照院墓所には初代藩主の毛利秀就、大照院を建立した2代藩主・毛利綱広(もうりつなひろ)から12代・毛利斉広(もうりなりとう=23歳で早逝、在職期間が20日足らずと、長州藩主としては在職最短)までの偶数代の7藩主と、夫人および一族と毛利秀就に殉死した7藩士の墓、合計52基が並んでいます。

参道に石畳が敷かれ、墓の周囲には、玄武岩製の石柱玉垣22ヶ所、家臣や縁者が奉納した鳥居7基、石燈籠605基、石橋1架があり、荘厳な雰囲気。
墓は改葬墓1基、明治以降の新墓2基を除きいずれも花崗岩製の五輪塔形で、藩主夫妻のものは高さ4.5mの大型。
水輪に普の字を、地輪の表には法号、その裏に没年月日を刻んでいます。
藩主の玉垣の内側と外側には青栗石が敷き詰められ、各墓前に鳥居が立っています。

藩祖となる毛利輝元の墓は旧天樹院墓所(萩市堀内)に、3代藩主・毛利吉就から11代までの奇数代の5藩主と夫人および一族(子、孫、側室、侍女ら)、関係者の墓40基は東光寺墓所(萩市椿東)にあります。
13代・毛利敬親と夫人、さらに毛利家歴代諸霊の墓計7基と初代・毛利秀就の母・周慶寺殿の墓は、香山墓所(山口市香山町・香山公園内)です。
一般的に長州藩と呼ばれる萩藩は、幕末に山口城に移すまでまで萩城が藩庁で、藩主の墓所は萩市と山口市にあります。

毎年8月13日に行われる『萩・万灯会』の迎え火では、参道に並ぶ603基の石灯籠に灯(ひ)が入り、幽玄の世界が広がります。

萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)
萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)
名称 萩藩主毛利家墓所(大照院墓所)/はぎはんしゅもうりけぼしょ(だいしょういんぼしょ)
所在地 山口県萩市椿青海4132
関連HP 大照院公式ホームページ
電車・バスで JR萩駅から徒歩15分。または、萩循環まぁーるバスで大照院入口下車、徒歩3分
ドライブで 中国自動車道山口ICから約42km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 大照院 TEL:0838-22-2124
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大照院

大照院

山口県萩市、萩市街南郊にある臨済宗南禅寺派の寺、大照院。もとは天台宗の寺院で、14世紀に臨済宗へ改宗。かつては観音寺、歓喜寺とも呼ばれましたが、明暦2年(1656)年、萩藩(長州藩)2代藩主・毛利綱広が初代・毛利秀就(もうりひでなり)の菩提

萩・万灯会 (迎え火)

萩・万灯会 迎え火(大照院)|萩市

毎年8月13日19:30~22:00 、山口県萩市の大照院で『萩・万灯会(迎え火)』が行なわれます。萩の夏の風物詩『萩・万灯会』は、萩藩主毛利家菩提寺の大照院と東光寺が舞台で、8月13日の「迎え火」は大照院、8月15日の「送り火」が東光寺で

萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)

萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)

山口県萩市堀内、堀内体育館近くにある毛利家墓所のひとつが、萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)。豊臣政権の五大老のひとり、毛利輝元とその妻・南の大方(清光院)、殉死した長井次郎左衛門が眠っています。毛利輝元の菩提寺、天樹院は廃寺になっています。

萩藩主毛利家墓所(東光寺墓所)

萩藩主毛利家墓所(東光寺墓所)

山口県萩市にある黄檗宗の寺、東光寺。萩藩3代藩主・毛利吉就(もうりよしなり)が名僧・慧極道明(えごくどうみょう)を開山として創建した名刹で、隣接地には3代〜11代の奇数代の5藩主が埋葬された萩藩主毛利家墓所(東光寺墓所)があります。大照院墓

 

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