【重要文化財】六連島灯台

六連島灯台

山口県下関市の六連島(むつれじま)の北崎に建つのが六連島灯台。江戸時代から明治時代には西廻り航路(北前船)が沖を通過し、その後は釜山などを結ぶ国際航路が通る海域を守る灯台です。明治4年11月21日という西日本屈指の歴史ある灯台で、国の重要文化財に指定されています。

ブラントン設計の歴史ある石造灯台

六連島灯台

文久3年(1863年)、攘夷運動の中心だった長州藩が下関海峡(馬関海峡)を海上封鎖。
海峡を通過したアメリカ商船、フランス・オランダ軍艦を攻撃する下関事件が勃発。
その報復としてアメリカ・フランス軍艦は、下関海峡(馬関海峡)内に停泊中の長州軍艦を砲撃し、壊滅的打撃を与えています。

攘夷(外国排斥)を唱える長州藩は、海峡に砲台を築き、海上封鎖を継続したため文久4年(1864年)、イギリスは報復処置をフランス、オランダ、アメリカの3国に呼びかけ、4国の連合艦隊17隻が下関海峡(馬関海峡)と彦島の砲台を攻撃し、撃破しています。

圧倒的な戦力差を痛感した長州藩は開国へと大きく舵を切りますが、300万ドルという法外な賠償金は江戸幕府、そして幕府が倒れた後は明治政府の責任で支払いが続けられました。

その賠償金の一部を開港する港湾整備と、航路上の灯台建設に割り当てることになり、六連島灯台と部埼灯台(へさきとうだい)が建設されました。
瀬戸内海の入口にあたり、兵庫(神戸港)へと向かう国際航路の安全を確保するのが目的で、明治3年10月に起工し、1年余りで完成しています。

完成後 、明治5年6月には明治天皇の視察が行なわれ ていますが、天皇の灯台視察としては初となることからも、灯台の重要性がよくわかります。
設計は「日本の灯台の父」と称えられるリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)で、地元の石工が動員されています。
御影石を使った石造で塔高は10.6mですが、地形を活かし島の高台に建つため、平均海面から灯火までは27.9mあります。
光達距離は、12.0海里(22km)で、毎3秒に1閃光。

日本遺産「関門ノスタルジック海峡」の構成資産にもなっています。
六連島へは、竹崎桟橋(下関漁港北側)から定期船「六連丸」を利用(所要20分)。

【重要文化財】六連島灯台
名称 六連島灯台/むつれしまとうだい
所在地 山口県下関市豊北町六連島船着654
電車・バスで JR下関駅から徒歩5分の竹崎渡船場から六連島渡船で20分、六連島へ渡船待合所から徒歩5分
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