山梨県南都留郡富士河口湖町・南巨摩郡身延町にまたがる、周囲12.6km、面積5.05平方キロメートルと、富士五湖では3番目に大きな湖が本栖湖(もとすこ)。最大深度は138mと、ほかの湖とはケタ違いに深く、また貯水量も豊富。五湖ではもっとも開発の遅れた地域で、その静寂さは「無の湖」と形容されるほどです。
千円札と旧五円札の絵柄は本栖湖からの富士山
本栖湖北東岸・浩庵キャンプ場周辺からの富士の眺めは定評があり、千円札と旧五円札の絵柄は、ここからの富士山。
朝焼けの紅富士もカメラマンには人気です。
富士急グループの富士五湖汽船が、本栖湖遊覧船「もぐらん」を運航。
潜水艦型遊覧船ですが、実は潜らないので「もぐらん」と命名したというユニークな船ですが、船底窓から湖中に泳ぐ魚を観察できる仕組みです(透明度は12mほど)。
湖面標高が902mあるので、夏でも涼しいので避暑にも絶好です。
本栖湖東岸沖、水深10m前後の湖底には縄文時代から古墳時代にかけての遺跡(本栖湖底遺跡)があり、貞観6年(864年)~貞観8年(866年)の富士山の貞観大噴火(じょうがんだいふんか)で本栖湖に溶岩が流入したことにより水位が上昇して遺跡が水没したと推測されています。
貞観大噴火で石塚火口から流出した本栖湖へと流れ出た溶岩流は、幅2~3km、長さ14.5kmにも及んでいます。
『日本三代実録』には「大山西北、有本栖水海、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈」(現代語訳:富士山の西北にある本栖湖という湖に焼け石が流れ込んだ。焼け石の流れは長さ約30里、広さ3、4里、高さ2、3丈に及ぶ)と記されています。
この溶岩流は本栖湖の東岸に到達しているので、東岸には青木ヶ原の末端ともいえる樹海が広がっているのです。
また本栖湖は甲府と駿河・吉原湊を結ぶ中道往還(なかみちおうかん)の途中にあり、古代には東海地方からの畿内文化(古墳文化)の流入路だったとも推測されています。
つまり、ヤマト王権と甲州を結ぶ重要な交易路だったのです。
武田氏は、精進湖との間の尾根の末端に本栖城を築き、本栖の集落に関所を設けていますが、中道往還を軍用道路として重視していたためです。
本栖湖は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産(富士山域)にもなっています。
名称 | 本栖湖/もとすこ |
所在地 | 山梨県南都留郡富士河口湖町本栖・南巨摩郡身延町 |
関連HP | 富士河口湖町観光情報サイト |
電車・バスで | 富士急行線河口湖駅から富士急行バス本栖湖方面行きで47分、本栖湖下車 |
ドライブで | 中央自動車道河口湖ICから約20km |
駐車場 | 県営本栖駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 富士河口湖町観光課 TEL:0555-72-3168 |
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