吉田口馬返し

吉田口馬返し

山梨県富士吉田市、富士山の吉田口登山道にある史跡が吉田口馬返し。往時、吉田口からの富士登山は、北口本宮浅間神社に参詣し、富士山頂を目ざしました。馬返しまではその名の通り馬に揺られて登山することができ、馬返しから500mほど(徒歩15分)で1合目の鈴原天照大神社(神仏習合時代には大日堂)に到着します。

往時には、ここまでは馬で登山できた場所

江戸から吉田までは健脚でも片道3日の日程が必要でした。
吉田にある御師の家に泊まり、ガイド役である御師から登拝の注意点などを聞いて、いよいよ登山道へと入ったのです。
1合目にある鈴原天照大神社は、神仏習合時代に浅間大神が仏では大日如来にあたることから(浅間大神の本地仏が大日如来)、1合目に大日如来を祀った堂を建てたもので、明治の神仏分離、廃仏毀釈で、以降は天照皇大神が祀られています。

古来、吉田口登山道は、標高別に草山、木山、焼山の3つに区分けされ、草木の生えない5合目以上が焼山、樹林帯が木山、それより山麓が草山でした。
馬返しは草山の最終地点で、木山へは馬の乗り入れができませんでした。
明治40年には派出所が設置されたように、鍋屋(茶屋)、桂屋、富士山ホテル、大文司屋の4軒の山小屋が営業し、昭和39年に富士スバルラインが開通するまでは(昭和27年から船津林道を使ってバスが5合目まで登るようになっていました)、多くの登山者で賑わっていました。

鳥居が立ち、大正時代には富士山禊所(みそぎしょ)が置かれ、馬から降りて、登山の支度を整え、身を清めて登拝の道に入ったのです。

北口本宮冨士浅間神社の登山門から9kmで馬返し(標高1450m)。
馬返しから佐藤小屋(5合目)までは徒歩3時間ほど。
距離的には富士山北口一ノ鳥居である金鳥居と山頂のほぼ中間にあたり、4軒の山小屋が営業していましたが、現在残るのは大文司屋(明大山荘)の1軒のみ。
夏季に限り、富士吉田市がお休み処として営業しています。

ちなみに吉田口登山道は、文化庁の「歴史の道百選」にも選定。

吉田口馬返し
名称 吉田口馬返し/よしだぐちうまがえし
所在地 山梨県富士吉田市上吉田
関連HP ふじよしだ観光振興サービス公式ホームページ
電車・バスで 富士急行富士山駅から富士急バス馬返行き(運行期間は要確認)で馬返下車、徒歩すぐ
ドライブで 東富士五湖道路富士吉田ICから約12km
駐車場 30台/無料
問い合わせ ふじよしだ観光振興サービス TEL:0555-21-1000
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
中の茶屋

中の茶屋

山梨県富士吉田市、富士山吉田口登山道の北口本宮冨士浅間神社境内にある登山門と「馬返し」の中間地点にあるこのが、中の茶屋。宝永4年(1707年)に創建された中の茶屋があった地で、登山者に茶やそばなどを提供していました。一帯には富士講の碑が建ち

北口本宮冨士浅間神社

北口本宮冨士浅間神社

山梨県富士吉田市、日本武尊(やまとたける)が東征のおり、神社近くの大塚丘から富士を遥拝したのが起源と伝えられる古社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。富士山に登る吉田口登山道の起点で、毎年6月30日の

大塚丘

大塚丘

山梨県富士吉田市上吉田、北口本宮冨士浅間神社の背後にある小高い丘が、大塚丘(おおつかやま)。日本武尊(やまとたける)が東征のおり、神社近くの大塚丘から富士を遥拝したのが起源と伝えられるのが、北口本宮富士浅間神社で、その始まりとなる聖なる丘、

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ