日川水制群

日川水制群

山梨県甲州市勝沼町上岩崎の笛吹川の支流・日川(ひかわ)にある大正4年に完成した洪水防止を目的とした砂防施設が日川水制群(ひかわすいせいぐん)。日川水制群と勝沼堰堤は、土木学会の土木遺産にも指定、日本遺産「葡萄畑が織りなす風景」の構成資産にもなっています。

ブドウ畑に伸びる不思議な石畳の正体は!?

日川水制群

明治40年に山梨県を襲った大水害(明治三大洪水の「富士川豪雨」/死者233人)はブドウ栽培、ワインの製造・搬出など当時の日川村に大打撃を与え、山梨県は日川の河道を拡幅、護岸堤、雁行堤(霞堤)を築きましたが、明治43年の水害(死者24人)で、これらも流出してしまいました。
この水害で、石和に至る一帯から2000人が、新天地を目指し、北海道、羊蹄山山麓に移住したほど(倶知安町山梨、京極町甲斐、豊浦町山梨などの地名は移住による開拓から)。
羊蹄山が蝦夷富士と強調されるようになったもの、山梨県からの移民が多かったからともいわれています。

日川の上流部に砂防を設け、下流部の両岸は護岸堤ではなく河道に直行する水制工(T型水制)を設けることが有効と考え、明治44年に日川水制が着工したのです。
長さ20mほどの石積みの水制が日川の両岸2.8mに74基も設置するという大掛かりなもので、上流部には砂防ダムとして勝沼堰堤が築かれています。

勝沼堰堤(大正6年)、勝沼堰堤の上流に建設された4基の堰堤、下流の日川水制群(大正4年)の完成で、日川氾濫による中央本線や甲州街道の寸断が無くなり、ブドウやワインの安定的な出荷が望めるようになったのです。

戦後、コンクリートの護岸が建設され、水制が建設された当初の様子はよくわかりません。
現在、日川水制の石積みと石積みの間は、勝沼園などのブドウ畑になっていて、ブドウ棚の足元に石畳のようなものが伸びるという不思議な景観になっています。
ぶどう橋(ワイン村河川公園)から下流の野呂橋にかけての両岸に多数残されています。

日川水制群
名称 日川水制群/ひかわすいせいぐん
所在地 山梨県甲州市勝沼町等々力
電車・バスで JR勝沼ぶどうの郷駅からタクシーで10分
ドライブで 中央自動車道勝沼ICから約3km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
勝沼堰堤(祇園の滝)

勝沼堰堤(祇園の滝)

山梨県甲州市勝沼町岩崎地先の笛吹川の支流・日川(ひかわ)にある砂防堰堤が勝沼堰堤で、自然の滝のような景観から、祇園の滝とも呼ばれています。当時暴れ川だった日川の氾濫をおさえるため、大正6年3月31日に内務省直轄砂防事業として完成した堰堤で、

 

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