御油の家並み

東海道の江戸から35番目の宿場町、御油宿(ごゆしゅく)は、街道時代には本陣・脇本陣を含め62軒の旅籠が軒を連ねていた大宿。江戸から76里4丁と日本橋からちょうど400kmの場所に位置していました。現在も御油町には、昔ながらの街並みが残されており、旧東海道をのんびりと散策することが可能です。

広重も描いた御油宿を歩く

広重『東海道五拾三次』御油・旅人留女

とくに観光地ではないので訪れる人もあまり多くはありませんが、醤油蔵などが残され雰囲気もなかなか。
御油宿の赤坂宿寄り(名古屋寄り)には松並木も残されています。

姫街道(本坂峠を越えて三ヶ日に至る本坂道)も御油で分岐し見附宿(現在の静岡県磐田市中心部)に至ったため、交通の要衝としても繁栄したのです。
ちなみに、姫街道は、新居の関所での関所改めと浜名湖の渡船を避けるため女性の利用が多かったために付いた名前。

姫街道の追分(分岐)には、常夜灯と「秋葉山三尺坊大権現道」という標石が立っています。
江戸時代には火防(ひぶせ)で名高い秋葉権現ヘ参詣する遠州秋葉参りも秋葉講ができるほどに人気でした。

味噌の香り漂うイチビキの工場

東海地区ではポピュラーに使われる溜(たまり)醤油(地元では「さしみ溜」と呼ぶ)や「赤だしみそ」など、味噌・醤油の醸造所である「イチビキ」(屋号は大津屋)の工場も街道沿いにあり、醤油の香りを漂わせています。
イチビキの創業は1772(安永元)年、吉田宿(現・豊橋市)で中村家が味噌・醤油を手がけたのが始まり。
明治44年に御油に工場開設し、日本最大級のみそ仕込桶「丈三桶」での仕込みが始まります。
大正8年に大津屋株式会社を設立。
今も仕込み蔵には「丈三桶」(桶底の直径が1丈3尺の日本一の木桶)と呼ばれる大きな桶が並んでいるので注目を。
イチビキ第一工場の工場見学は10名以上で申し込み。

御油の家並み
名称御油の家並み/ごゆのいえなみ
所在地愛知県豊川市御油町美世賜
関連HP豊川市観光協会公式ホームページ
電車・バスで名鉄名古屋本線御油駅から徒歩10分
ドライブで東名高速道路音羽蒲郡ICから約3km
駐車場御油の松並木駐車場(22台/無料)
問い合わせ豊川市観光協会 TEL:0533-89-2206/FAX:0533-89-2276
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

赤坂宿

東海道で唯一現存する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で赤坂宿には83軒の旅籠がありましたが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き9間の「大橋屋」は、

御油の松並木資料館

東海道御油宿の羽川のたもとに位置する「御油の松並木資料館」は、御油宿、赤坂宿の歴史や御油の松並木について紹介、解説する歴史資料館。規模は大きくありませんが地元に残る貴重な資料など100点余が展示されています。御油宿と松並木の歴史を学ぶまた、

御油の松並木

『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木が愛知県豊川市御油町にある御油の松並木。旧東海道・御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいます。旧東海道の中で唯一、国の天然記念物に指定される松

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