愛知県岡崎市康生町、岡崎公園となった家康生誕の城・岡崎城の持仏堂曲輪にあるのが、天下人家康公出世ベンチ。岡崎は、室町時代後期に遡るという石工の町。ベンチは岡崎の石工の技を集めたもので、天守を背後に、左に若き日の家康(竹千代像)、右に天下人となった家康像が配され、記念撮影に絶好。
持仏堂曲輪に置かれた岡崎石工の技を活かしたベンチ
天正18年(1590年)、岡崎城主・田中吉政が、岡崎城を築き、城下町を整備した際に、河内国(大阪府東部)、和泉国(大阪府南西部)の石工を招きますが、良質の花崗岩を産し、矢作川(やはぎがわ)の舟運が使えるという地の利のある岡崎に石工の一部はそのまま残り、寺社の石燈籠などを生産、現在の特産品「岡崎石工品」(経済産業省の伝統的工芸品)へとつながるのです。
天下人家康公出世ベンチは、「石都岡崎」と呼ばれる、岡崎の優秀な石職人の技術と、地元産の美しい御影石(岡崎花崗岩)を使ったもので、平成24年に設置。
「徳川家康公はここ岡崎城で生まれ、幾多の困難を乗り越え、天下統一を果たしました。家康公とこのベンチに座り、天下人を生んだ岡崎の魂を感じてください」というまさに出世祈願のパワースポットになっています。
家康公・竹千代像ベンチとも呼ばれますが、正式名は、天下人家康公出世ベンチです。
少し引き目にワイドなアングルにすれば、人物は小さくなりますが、バックに岡崎城の天守を入れ込むことができ、カップル、ファミリーでの記念撮影にも絶好。
出世ベンチの置かれた持仏堂曲輪自体もパワースポット!
天下人家康公出世ベンチが配されるのは、本丸北側の持仏堂曲輪で、徳川家康が妙源寺(岡崎市大和町にある真宗高田派の寺で、三河一向一揆の際に妙源寺に身を隠して難を逃れています)から譲り受けた恵心僧都(えしんそうず=源信)作の阿弥陀仏を安置した堂があったから。
持仏堂曲輪は廊下橋(現在は大正9年架橋のアーチ石橋に)を介して本丸天守に通じ、間には創築者・西郷頼嗣(清海入道)の名の付 いた清海堀(空堀)が切られていました。
持仏堂曲輪は、数少ない家康在城時の岡崎城の構造が残される場所であるとともに、家康時代から持仏の阿弥陀仏を安置する堂のあったパワースポットだったのです。
持仏堂曲輪から二の丸に通じる門、土塀の基礎部分の石垣は、家康時代のままのものがあるのでお見逃しなく。
天下人家康公出世ベンチ | |
名称 | 天下人家康公出世ベンチ/てんかびといえやすこうしゅっせべんち |
所在地 | 愛知県岡崎市康生町561 |
関連HP | 岡崎市公式観光サイト |
電車・バスで | 名鉄東岡崎駅から徒歩15分。または岡崎公園駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東名高速道路岡崎ICから約3km |
駐車場 | 岡崎公園駐車場(229台/有料、8:30〜21:30) |
問い合わせ | 岡崎城 TEL:0564-22-2122/FAX:0564-22-2122 |
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