青森県八戸市街地の西端、馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた中世の城。後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)が南朝方の拠点として築城。南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けられました。国の史跡で、「日本100名城」にも選定。
南北朝時代に南部師行が築城
南北朝時代の1333(元弘3・正慶2)年、北畠顕家は陸奥国司として義良親王を伴って陸奥国に下向。
甲斐国波木井郷(現・山梨県身延町)の地頭だった南部師行(なんぶもろゆき)も同行し、根城を築城。
1338(延元3・暦応元)年、北畠顕家、南部師行は足利尊氏討伐に出向くも、和泉国石津川(現・大阪府堺市西区浜寺石津町)で戦死。
1393(明徳4)年、南部氏8代・八戸政光は本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興を図り、三戸の南部氏に対して、八戸氏と名乗るように。
藩政時代の1627(寛永4)年、八戸直秀が遠野城(岩手県遠野市)に移封となり、根城は廃城となっています。
1664(寛文4)年に誕生した八戸藩(2万石)の政庁・八戸城は、現在の三八城公園(みやぎこうえん=八戸市内丸1丁目)のところにありました。
本丸周辺が「史跡 根城の広場」として公園化
本丸、中舘(根城の重臣・中館氏の居館跡)、東善寺(根城の祈願所・東善寺の跡)、岡前舘、沢里館など8つの郭(くるわ=曲輪)が連なる連郭式の平山城。
遺構としては、本丸、東善寺、沢里館、三番堀などで、館跡の礎石、曲輪、空濠(堀)、土塁が現存。
昭和53年から11年を費やしての発掘、整備が行なわれ、平成6年に「史跡 根城の広場」として公園化されています。
中世から近世にかけての郭全体の復原は日本初の試みです。
本丸跡には、発掘調査の成果をもとに、主殿、中馬屋、上馬屋、番所(ばんどこ)、工房、鍛冶工房、野鍛冶場、納屋、板蔵、東門など安土桃山時代の根城の様子が復原整備されています。
「史跡 根城の広場」では、ボランティアの史跡ガイドが史跡のガイドを実施(無料・所要1時間)。
広場入場は、無料ですが本丸内のみ有料となっています。
南部氏旧地の身延山久遠寺から取り寄せたシダレザクラ155本が広場を取り囲んでいます。
また、根城入口の駐車場前には「八戸市博物館」もあるので、ぜひ寄り道を。
根城 | |
名称 | 根城/ねじょう |
所在地 | 青森県八戸市根城根城47 |
関連HP | 根城公式ホームページ |
電車・バスで | JR八戸駅から田面木経由市営バス・南部バスで、根城博物館前下車 |
ドライブで | 八戸自動車道八戸ICから約3km |
駐車場 | 八戸市博物館駐車場(24台/無料) |
問い合わせ | 史跡根城の広場 TEL:0178-41-1726/FAX:0178-41-1756 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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