滝尾神社
日光史跡探勝路(滝尾神社コース)の終点、白糸の滝脇に鎮座するのが滝尾神社(たきのおじんじゃ)。二荒山神社の別宮で、二荒山神社の主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神(きさきがみ)で女峰山の女神・田心姫命(たごりひめ…
日光史跡探勝路(滝尾神社コース)の終点、白糸の滝脇に鎮座するのが滝尾神社(たきのおじんじゃ)。二荒山神社の別宮で、二荒山神社の主祭神、大己貴命(おおなむちのみこと)の妃神(きさきがみ)で女峰山の女神・田心姫命(たごりひめ…
鳥居はもともとは木造だった推測され、現存する歴史ある鳥居の多くは木造(近世以降は石造なども)。日本三大木造鳥居に数えられるのは氣比神宮・大鳥居(福井県敦賀市)、春日大社・一之鳥居(奈良県奈良市)、厳島神社・大鳥居(広島県…
福井県敦賀市にある越前国一之宮の氣比神宮(けひじんぐう)。大鳥居は南北朝時代の康永2年(1343年)の暴風で倒壊していたものを、江戸時代初期の正保2年(1645年)、佐渡から調達した榁(むろ)の木で再建したと伝えられてい…
春日大社の社前、三条通に面して立つのが一之鳥居。かつては春日大社と興福寺旧境内との境に立っていました。平安時代の承和3年(836年)に創建されたと伝わる鳥居で、現存する鳥居は寛永11年(1638年)の再建。高さ6.75m…
鳥居というと神社を連想し、神社の入口に立つものと思われがちですが、日本三大鳥居(日本三鳥居)に数えられる吉野山金峯山寺・銅の鳥居(かねのとりい)、四天王寺・石の鳥居、安芸の宮島・朱丹の大鳥居は、すべて神仏習合時代のもの。…
鳥居の材質はもともとは木だったのですが、中世から北九州や瀬戸内海の花崗岩を海路運んで鳥居にするという石鳥居が建立されるようになりました。運搬に財力がかかることから、奉納者の権力を示すことができるこの石鳥居、日本三大石鳥居…
明治初年の神仏分離まで、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神・牛頭天王(ごずてんのう=神仏習合の神)を祀り、祇園感神院、あるいは祇園社と呼ばれていたのが八坂神社。現在、本殿、舞殿、南楼門が南北に並んでいますが、その南に位…
古都・鎌倉の都市計画は、源頼朝が鎌倉入りした直後の治承4年10月12日(1180年11月1日)、鶴岡八幡宮を現在地に遷し、海岸から八幡宮への参道となる若宮大路を開いたのが始まり。その若宮大路には海岸から一の鳥居、二の鳥居…
宮島の朱丹の大鳥居(重要文化財)、四天王寺の石の鳥居(重要文化財)と並んで「日本三大鳥居」に数えられるのが吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)の銅の鳥居(かねのとりい)。銅製で、高さ7.5m。こちらも国の重要文化財。鋳銅製の円…
大阪市天王寺区にある日本最初の官寺・四天王寺(聖徳太子建立七大寺のひとつ)。中心伽藍の西側、西門のさらに外側に立つのが石鳥居。鎌倉時代の永仁2年(1294年)、四天王寺別当となった忍性(にんしょう)が石造の明神鳥居として…
天下統一を目前とした織田信長が、NHK大河ドラマ第59作『麒麟がくる』の主人公となった明智光秀の謀反により夢半ばにして自刃した寺が本能寺。往時の本能寺は「本能寺の変」で焼失し、現在の本能寺は豊臣秀吉によって移転、再建され…
京都市東山区、「祇園さん」とも呼ばれる八坂神社の境内に湧く湧水が祇園神水で、地元の人が水をくむ姿をよく見かけます。八坂神社本殿の下には、竜穴と呼ぶ底無し井戸があると平安の昔から言い伝えられていますが、「祇園神水」は新しく…
鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に幕府を開くにあたり、源頼朝(みなもとのよりとも)が行なった都市計画で、メインストリートとして造成されたのが海岸と鶴岡八幡宮を結ぶ若宮大路。参道を兼ねるため一の鳥居から三の鳥居まで途中3つの鳥居…
明治初年の神仏分離まで、日光全山が日光山の霊場で、その歴史を紹介するミュージアムが日光山輪王寺の輪王寺宝物殿。日光山の歴史を物語る歴史的美術的価値の高い資料を保存研究公開する施設です。年間6回、約50点ずつ展示替えを行な…
栃木県日光市、日光山内の北辺、日光史跡探勝路(滝尾神社コース/滝尾道)沿いにあるのが日光山輪王寺・開山堂。弘仁8年(817年)に遷化(せんげ=高僧の死去)した日光開山の祖・勝道上人(しょうどうしょうにん)を茶毘にしたのが…
世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産で、二社一寺のひとつ、日光東照宮の有料エリアの入口が表門。門下の券売所で拝観券を購入し、表門から入退場します。自然の地形を生かして門の手前は階段。元和3年(1636年)、徳川家光の寛永…
日光東照宮参道途中、五重塔近くにあるのが石鳥居(一の鳥居)。日光東照宮創建(徳川家康日光改葬)の翌年、元和4年4月17日(1618年6月9日)の造営の明神鳥居。高さ9.2m、柱間6.7m、柱の直径(太さ)3.6mの石鳥居…
日光東照宮の石鳥居(一の鳥居)脇にあるのが五重塔。慶安3年(1650年)、若狭小浜藩の初代藩主・酒井忠勝(さかいただかつ/4代将軍徳川家綱時代の老中・大老)が寄進したのが始まりですが、文化12年(1815年)に焼失。現存…