備中国分尼寺跡
岡山県総社市、備中国分寺(備中国分寺の後継寺院)と礎石などの残る備中国分寺跡の東に位置する古代の寺院跡が備中国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により、全国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)の…
岡山県総社市、備中国分寺(備中国分寺の後継寺院)と礎石などの残る備中国分寺跡の東に位置する古代の寺院跡が備中国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)により、全国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)の…
天平13年(741年)に聖武天皇の詔(みことのり)で諸国に一寺ずつ造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで備中国(びっちゅうのくに=現在の岡山県西部)に建立されたのが備中国分寺。岡山県総社市にある後継寺院、備中国…
岡山藩主・池田光政(いけだみつまさ)により開設された日本最古の庶民学校が岡山県備前市にある閑谷学校(しずたにがっこう)。庶民のための学校として、領内はもとより他藩の者にも入学を許可、頼山陽らも度々訪れたとか。旧閑谷学校と…
武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁が岩槻城(いわつきじょう)。岩付城、岩附城、白鶴城、浮城とも呼ばれた城跡は岩槻城址公園として整備されています。中世には岩付太田氏の居城でしたが、徳川家康…
奈良時代に編纂された歴史書の『日本書紀』、『古事記』には日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国遠征の帰路、伊吹山(岐阜県)で病となり、大和国(現:奈良県)へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなり、陵墓が築かれたとあります…
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…
三重県鈴鹿市にある全長92m、後円部の直径64m、前方部の高さ15.5mと、三重県下最大の帆立貝式古墳が白鳥塚古墳。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身で『古事記伝』の著者でもある本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(…
昭和6年3月17日に参宮急行電鉄線(後に近鉄に吸収)の終着駅、伊勢神宮の玄関駅として建設された宇治山田駅は、私鉄の駅舎としては有数のクラシックさと豪華さで、国の登録有形文化財の指定を受けています。3階建て、間口120mと…
内宮宇治橋から約800mにわたり伊勢独特の切妻入りの建物が建ち並んでいますが、これがおはらい町。かつての参宮街道の一部で、付近には明治の初めまで、伊勢参りの人々をもてなす御師の家(おんしのいえ)が建ち並んでいました。神宮…
伊勢市街にある筋向橋(すじかいばし)は、伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていたのです。今では川が暗渠(あんきょ)となっていますが、往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールであ…
安永4年(1775年)創業の老舗の餅屋がへんばや商店。伊勢神宮に向かう参拝者が、宮川を渡るために馬を返して舟に乗ったという(宮川から先が伊勢神宮の神域)。この宮川のほとりで舟待ちの旅人相手に売られていた平たい焼き餅に、馬…
伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ街道沿いにある古市は、伊勢参りの際の精進落としの場所として、庶民の伊勢参拝の隠れた目的の地でもあり、江戸の吉原、京都の島原に並ぶ三大妓楼に挙げられるほどの賑わいを見せていました。その古市の繁栄を…
三重県紀北町と尾鷲市を結ぶ国道42号は天狗倉山(馬越峠/まごせとうげ)をトンネルで通過していますが、馬越峠周辺には17世紀前半に紀州藩の行なった街道整備事業で敷かれたと推定される熊野古道伊勢路の石畳が残されています。これ…
大阪府大東市(だいとうし)と四條畷市(しじょうなわてし)の境、標高315.9mの飯盛山に築かれた中世の山城が飯盛山城(いいもりやまじょう/大東市では飯盛城と称しています)。京や大坂を抑え、大和への進軍も可能な飯盛山城は、…
天王寺公園の北端にある小さな山が茶臼山。大阪市内で最大級の前方後円墳との説もありますが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が上町台地を掘削したときの残土を盛った丘ともいわれています。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳…
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方は最終決戦に臨み、防御が薄くなった大坂城に籠もるのでなく、天王寺周辺に陣を敷くことに決めました。真田幸村(真田信繁)は、前年に敵将・徳川家康が陣を築いた茶臼山を本陣としますが…
三重県の県庁所在地である津市は、中世、伊勢湾の交易を支えた三津七湊の一つ、安濃津(あのつ)に由来する地名。その安濃津を眼前に、戦国時代に築かれた城が津城(安濃津城)で、江戸時代には築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として…
奈良市中町にある霊山寺真言宗大本山が霊山寺(りょうせんじ)。奈良時代に行基が開山したと伝わる古刹です。弘安6年(1283年)築の本堂は鎌倉時代和様仏堂の代表作として国宝。鐘楼、三重塔、霊山寺の鎮守社だった十六所神社は国の…