旧豊田佐助邸
愛知県名古屋市東区主税町(ちからまち)、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」を中心に名古屋の近代化の歴史を伝える「文化のみち」途中にあるのが旧豊田佐助邸(きゅうとよださすけてい)。豊田自動織機創業者でトヨタグループの創始者…
愛知県名古屋市東区主税町(ちからまち)、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」を中心に名古屋の近代化の歴史を伝える「文化のみち」途中にあるのが旧豊田佐助邸(きゅうとよださすけてい)。豊田自動織機創業者でトヨタグループの創始者…
愛知県名古屋市東区、「白壁・主税・橦木町並み保存地区」を中心に名古屋の近代化の歴史を伝える建築物が数多く残る「文化のみち」途中にある輸出陶磁器商・井元為三郎(いもとためさぶろう)の邸宅を保存したのが文化のみち橦木館(しゅ…
愛知県名古屋市西区比良にある中世の平城の跡が比良城(ひらじょう)。天文年間(1532年 – 1555年)、井関城から居城を移した佐々成宗(さっさなりむね)によって築かれ、その子・佐々成政(さっさなりまさ)は、…
熊本県熊本市北区、西南戦争の激戦地、田原坂(たばるざか)の三の坂一帯を公園化したのが田原坂公園。明治10年に勃発した西南戦争。熊本城の救援に駆けつけた政府軍と西郷隆盛率いる薩軍が3月4日〜3月20日にかけて17日間におよ…
熊本県葦北郡芦北町にある加藤清正が築城した山城が佐敷城(さしきじょう=佐敷花岡城)。南北に通る薩摩街道と相良藩の生命線ともいえる人吉街道(山越えをして大坂間に至る相良往還)が交わる要衝に位置し、戦国時代末期には島津氏との…
静岡県静岡市葵区井川、大井川本川上流部に昭和32年に建設された井川ダムのダム湖、井川湖の湖畔にある遊歩道が井川湖畔遊歩道。「廃線小路」と通称されるのは井川ダムと堂平駅(貨物駅)を結んでいた昭和29年開業の中部電力専用鉄道…
熊本県宇土市にある小西行長が築いた平山城(近世城郭)が宇土城(うとじょう)。豊臣政権下で水軍を率いた小西行長は、天正15年(1587年)の九州平定、天正16年(1588年)の肥後国人一揆の討伐の功から肥後国(現・熊本県)…
三重県熊野市にある中世から近世の過渡期に築かれた平山城が赤木城(あかぎじょう)。藤堂高虎が縄張りし、築城したという曲輪群が残され、続日本100名城に選定。江戸時代初期の北山一揆で処刑された刑場跡とともに、「赤木城跡及び田…
京都府京都市伏見区にある江戸時代を通し、山城国唯一の大名家の居城(淀藩の藩庁)だったのが淀城。桂川と宇治川の舟運で都に運ばれる物資を陸揚げする川湊を控えた交通の要衝を守備する城で、譜代大名の居城でした。本丸石垣、穴蔵式天…
京都府亀岡市河原林町にある古代寺院の跡が御上人林廃寺跡(おしょうにんばやしはいじあと)。廃寺跡の東400mほどのところに丹波国分寺の遺構が発見され、その遺構からのものと同じ瓦が出土しているので丹波国分尼寺跡(丹波国の法華…
京都府亀岡市千歳町国分にある、天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で諸国に建立された国分寺)(正式名は金光明四天王護国之寺)のひとつで、丹波国(たんばのくに)の国分寺の跡が丹波国分寺跡。丹波国の国府の遺構は…
静岡県静岡市葵区、静岡市のときわ通り沿いにある宝暦3年(1753年)創業、わさび漬の元祖といわれる店が田尻屋総本家。わさび漬の起源は、9代将軍・徳川家重の時代、初代田尻屋利助が考案したのがわさび漬のルーツで、田尻屋のレト…
静岡県静岡市清水区、東海道江尻宿(現在の静岡市清水)のはずれ、久能山へと至る久能道との追分(分岐)に店を構える老舗が、追分羊かん本店。元禄8年(1695年)創業という東海道屈指の老舗で、街道時代からの名物「追…
京都府京都市中京区、二条城の南にある伝統的建造物(町家)が二條陣屋。江戸時代初期の陣屋(大名の宿泊所)。もとは御用商人であった小川家の住宅で、二条城の南にあるため、陣屋としても利用されるようになったもの。「小川家住宅」と…
京都府京都市東山区、織田信長、織田信忠父子の供養のために創建された寺が大雲院。大雲院祇園閣は、昭和3年、ホテルオークラの創始者、大倉喜八郎の建てた別邸「真葛荘」の一部で、緑色の屋根が目をひく塔は、大倉喜八郎が『祇園祭』の…
京都府京都市上京区に現存する新島襄(にいじまじょう)の私邸が、新島襄旧邸(新島旧邸)。幕末の渡米から戻った後、同志社を創立した新島襄の私邸を公開。同志社大学の前身、同志社英学校が仮校舎として借家した高松保実邸の跡で、「同…
京都府京都市上京区、真盛町から社家長屋町に位置する京都最古のお茶屋の街が上七軒(かみひちけん)。北野天満宮で豊臣秀吉が大茶湯を催した時、茶屋株の特権を与えられ、花街として栄えたエリア。現在でも軒に提灯がかかる町家など、風…
京都府京都市山科区、円山公園裏手の華頂山山頂(標高215m)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)の飛地境内である将軍塚青龍殿の南側にあるのが地名の由来ともなる将軍塚。古墳時代の横穴式石室を有する円墳ですが、王城鎮護のた…