犀ヶ崖古戦場
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
22静岡県浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
22静岡県元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、徳川家康は三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰ります。城内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松に掛けたことから鎧掛け松と呼ばれています。
22静岡県三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
26京都府1586(天正14)年、豊臣秀吉により京都・東山に創建された天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立を志して造営したもの。1595(文禄4)年、大仏殿が完成し高さ6丈(18m)の廬舎那仏(るしゃなぶつ…
23愛知県豊川稲荷の名前で知られていますが、正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)という曹洞宗(禅宗)の寺。豊川稲荷は、1441(嘉吉元)年に東海義易(とうかいぎえき)禅師が妙厳寺を建立した際に、鎮守として豊川荼枳尼真天(とよかわだきに…
23愛知県『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木が愛知県豊川市御油町にある御油の松並木。旧東海道・御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいます。旧東海道の中で唯一、国の天然…
13東京都大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士・四十七士の討ち入り事件を伝える話「忠臣蔵」であまりにも有名な泉岳寺。代々赤穂藩浅野家の菩提寺として、境内には藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や夫人の墓の他、吉良上野介の首…
10群馬県1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を…
11埼玉県1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが…
21岐阜県JR東海道本線・関ヶ原駅にほど近い場所にあるのが関ヶ原古戦場・東首塚。関ヶ原駅西側の跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を北側に渡ると、左手にスダジイの大木茂る広葉樹の森があり、そこが東首塚。諸将の首を東西2ヶ所に埋葬した…
21岐阜県西軍有利な陣形で望んだ合戦(西軍は「鶴翼の陣形」)は序盤、実働部隊としての数で劣る西軍優勢で展開しますが事前に東軍に通じていた小早川秀秋隊の背反を契機に形勢は逆転。西軍の諸将が敗走するなか、関ヶ原合戦でも最大級の激戦が繰…
21岐阜県東海道本線関ヶ原駅の北側、陣場野公園の一角にあるのが徳川家康最後の陣跡。中山道・関ヶ原宿の東、桃配山に陣を構えた家康は、合戦の最中に、東軍の動きを確認するため石田三成が陣を構えた笹尾山の東南1kmに位置する陣場野に陣を敷…
21岐阜県関ヶ原宿から中山道を東の垂井宿を目ざすと関ヶ原の東の入口に位置する小高い丘がある。ここが桃配山。東側から関ヶ原を俯瞰できる地で、ここに関ヶ原に布陣した東軍・徳川家康は合戦の当初、この桃配山に陣を構え、戦(いくさ)の成り行…
25滋賀県三井寺唐院三重塔は室町時代初期の建築で、1597(慶長2)年に秀吉が伏見観月橋下に移築した大和の比蘇寺(ひそでら=現在の世尊寺)の東塔を、1600(慶長5)年に徳川家康が三井寺に寄進したもの。国の重要文化財で、一層目の須…
25滋賀県膳所城(ぜぜじょう)は、徳川家康が関ヶ原の合戦の翌年1601(慶長6)年に、築城の名手といわれる藤堂高虎(とうどうたかとら)に命じて築いた城。大津市の市街地に本丸跡が膳所城跡公園として整備され、周辺には城下町の風情も残さ…
23愛知県703(大宝3)年に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝えられる古刹、鳳来寺(ほうらいじ)。真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で、文治年間(1182〜1189年)に源頼朝が堂宇を建立、鎌倉時代には…
23愛知県3代将軍・徳川家光が造営を発願して創建されたのが鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)。完成は1651(慶安4)年、4代将軍・徳川家綱の時代で、日光東照宮を模して建てられた本殿は、江戸初期の建築法を残す貴重なものとし…
30和歌山県紀州藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が父・家康の霊を祀るため、南海道の総鎮護として1620(元和7)年に創建した古社。駿河の久能山に似た和歌浦を望む地を選んで造営し、後に頼宣自身も祀られています。祭神は東照大権現…