旧和歌山県議会議事堂
和歌山県岩出市根来(ねごろ)にある歴史的建造物が旧和歌山県議会議事堂。明治29年に和歌山県議会議事堂として建てられたもので、昭和37年に根来寺境内に移築され、大講堂・客殿に転用。平成24~27年度の保存整備事業によって、…
和歌山県岩出市根来(ねごろ)にある歴史的建造物が旧和歌山県議会議事堂。明治29年に和歌山県議会議事堂として建てられたもので、昭和37年に根来寺境内に移築され、大講堂・客殿に転用。平成24~27年度の保存整備事業によって、…
和歌山県立紀伊風土記の丘の中心施設であるミュージアムが紀伊風土記の丘資料館。国の特別史跡・岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)など、和歌山県内の遺跡、古墳、根来寺などからの出土品の保存、調査研究、公開のため、郷土出…
和歌山市東の郊外、岩橋(いわせ)の丘陵地に広がる岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)。この古墳群を中心に竪穴住居や紀伊風土記の丘資料館などが整備されたのが、和歌山県立紀伊風土記の丘です。紀氏に始まる紀伊国造(きのく…
大阪湾の入口を守備する目的で明治時代に築かれた由良要塞は、同時期に築かれた首都東京を守る東京湾要塞と比肩する大規模な要塞。その中心的な友ヶ島灯台には5ヶ所の砲台が築かれていましたが、島の西端に設けられた第一・第二・第五砲…
淡路島の由良地区から和歌山市加太の深山地区に至る紀淡海峡を防備するために日清戦争前の明治22年頃から築かれ始めたのが友ヶ島の砲台群。由良要塞の中央に位置する重要な砲台で、友ヶ島には5つの砲台が設置されましたが、友ヶ島第三…
紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ地ノ島、沖ノ島、神島、虎島の総称が、友ヶ島。明治〜第2次大戦までは旧日本軍の軍用地で、対岸の加太(かだ)などとともに由良要塞を形成していました。沖ノ島には今でも弾薬庫、軍馬舎、官舎などが残り…
日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」といわれる明治の元勲・山縣有朋(やまがたありとも)。山縣有朋は、殖産興業を目的に、明治19年、那須・高原山山麓(現・矢板市)に伊佐野農場(後の山縣農場)を開場。山縣有朋記念館は、山縣有朋…
陸軍大臣、陸軍参謀総長などを歴任した明治の元勲・大山巌(いわお)は、那須野ヶ原の開拓、殖産興業政策の一環で、明治14年に従兄の西郷従道(さいごうつぐみち)とともに加治屋開墾場を開設、そして明治34年に各自の部分に分割して…
栃木県野木町にある旧下野煉化製造会社煉瓦窯の通称が、野木町煉瓦窯。明治23年〜昭和46年に稼働し、赤煉瓦を生産して日本の近代化に貢献したホフマン式の煉瓦窯です。国の重要文化財、そして「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産な…
明治22年、第1次山縣内閣の外務大臣に就任した対英条約改正交渉(不平等条約の是正)を行ない、駐独公使、駐イギリス公使としても活躍した青木周藏(あおきしゅうぞう)が、那須高原(現・那須塩原市)に築いた別荘が旧青木家那須別邸…
大正7年に黒磯駅前(現・那須塩原市)に建てられた黒磯銀行本店。黒磯初の石造りの銀行建築で、外壁は正面が芦野石、他は大谷石でできています。石積みを基調としていますが、おしゃれなアーチ型飾り、櫛形風ペディメントを備えています…
群馬県の県都、前橋市にある平城で、江戸時代には前橋藩の藩庁にもなった城が前橋城(厩橋城)。天文3年(1534年)の利根川氾濫後にすでにあった石倉城の三の丸を修復し、城としたのが始まりというが定かでありません。戦国時代には…
、常陸国筑波郡多気(現・茨城県つくば市北条多気)にあった中世の山城跡。城山(じょうやま)と称される標高129.4mの多気山(たけやま)山上に築かれた山城で、壕の跡などが残されていますが、史料などが少なく、幻の城といわれる…
茨城県常陸太田市にある中世の城跡が太田城で、川越城(埼玉県川越市)、忍城(埼玉県行田市)、前橋城(群馬県前橋市)、金山城(群馬県太田市)、唐沢山城(栃木県佐野市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)と並んで関東七名城のひとつ。別…
古くは下総国(しもうさのくに)だった茨城県古河市にあった中世の城が古河城。南北朝時代には北朝方の足利氏の拠点となった城で、江戸時代には古河藩の藩庁となり、日光社参の将軍の宿泊所にもなりましたが、現在ではその遺構はほとんど…
下総国猿島郡(現・茨城県坂東市逆井)にあった戦国時代の平城。天正5年(1577年)、玉縄城主・北条氏繁(ほうじょうやすしげ)が、北条氏の北関東への攻略の拠点として築城していますが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田…
茨城県立歴史館(茨城県水戸市)の正門を入ってすぐ、旧水海道小学校本館が移築保存されています。舟運で栄え進取の気性がある水海道(みつかいどう=現・常総市)から移築された、八角形の塔屋と深い軒出しが印象的な木造二階建ての疑洋…
奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分尼寺(正式名は法華滅罪之寺)のうち下野国(しもつけのくに=現在の栃木県)に建立されたのが、下野国分尼寺で、その下野国分尼寺…