信玄棒道
武田信玄が八ヶ岳山麓に築いた軍用道路が信玄棒道(しんげんぼうみち)。上の棒道、中の棒道、下の棒道の3本が甲斐国から信濃国諏訪へと通じていましたが正確な経路は不明。既存の道を改修したのか、新道を開いたかも定かでありません。…
武田信玄が八ヶ岳山麓に築いた軍用道路が信玄棒道(しんげんぼうみち)。上の棒道、中の棒道、下の棒道の3本が甲斐国から信濃国諏訪へと通じていましたが正確な経路は不明。既存の道を改修したのか、新道を開いたかも定かでありません。…
京都府舞鶴市の西地区(西舞鶴)を流れる高野川河口の竹屋町にある倉庫群。これは、田辺城の城下町だった藩政時代から明治時代まで廻船業を中心に栄えた町並みが残るもので、大壁造り土蔵が軒を連ねています。西側の湾奥、現在の舞鶴西港…
明治34年、舞鶴には帝国海軍の舞鶴鎮守府(まいづるちんじゅふ)が置かれますが、明治36年築の兵器廠魚形水雷庫を再生した舞鶴赤レンガ倉庫群の1号棟が赤れんが博物館。1階にはレンガを焼成したホフマン窯を展示し、日本のレンガの…
12棟が現存する舞鶴市の赤れんが倉庫群の1棟である旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年築)を再生した記念館が舞鶴市政記念館。舞鶴赤レンガ倉庫群の一つとして重要文化財、近代化遺産(文化庁)に指定。2階には展示コーナーが…
岩宿の赤土(関東ローム層)から石斧などが発見され、考古学会の常識を覆し、日本にも旧石器時代(岩宿時代)が存在したことを立証した岩宿遺跡(群馬県みどり市)。遺跡に隣接して建つ岩宿博物館では、日本に旧石器・先土器時代があるこ…
昭和21年、新田郡笠懸村岩宿(現・みどり市笠懸町阿左美)の切り通しにあった関東ローム層露頭から在野の考古学研究者・相沢忠洋(あいざわただひろ)が石器に似た石片を発見。それが有名な岩宿遺跡で、日本で最初に発見された旧石器時…
生糸や絹織物の集散地、銅山街道の宿場町として発展した群馬県みどり市の大間々市街、高津戸峡沿いにある昭和12年築の木造2階建ての劇場(芝居小屋)が、ながめ余興場。1、2階席合わせて650人収容の規模があり、廻り舞台と花道を…
群馬県渋川市の伊香保温泉街の入口、伊香保公民館横にあるのが峠の公園。ホテル木暮へと続く八幡坂の入口にあるこの峠の公園は東武伊香保軌道線(昭和31年廃止)の軌道跡。地元有力者の木暮武太夫を社長にして、明治43年に伊香保電気…
東京湾を航行する船から、そして富津岬突端の展望塔(明治百年記念塔)から眺めることができる、東京湾の人工島が、千葉県富津市にある第二海堡(だいにかいほ)。富国強兵を目ざした明治時代に、東京湾防備の要として建設された海上砲台…
明治20年代に山縣有朋(やまがたありとも)らによる本土要塞化の一環で、東京湾の要塞化が図られました。最初に築かれたのが、富津岬の根元の砲台(富津元洲堡塁砲台)と、富津岬沖(約1kmほど沖)の第一海堡(だいいちかいほ/だい…
北関東の要衝、沼田(現・群馬県沼田市)に中世に築かれた城。戦国時代には上杉、後北条、武田の争奪戦が展開し、本能寺の変後は真田信幸が支配し、江戸時代には沼田藩の藩庁が置かれました。城跡は沼田公園として整備され、「日本の歴史…
栃木県栃木市・壬生町(みぶまち)の市町境に位置する前方後円墳が吾妻古墳(あづまこふん)。墳丘長127.85mで栃木県では最大、東日本でも12位という大きな古墳です。思川(おもいがわ)、姿川(すがたがわ)に挟まれた台地上に…
9月第3月曜(敬老の日)前の土・日曜、青森県むつ市の川内八幡宮(かわうちはちまんぐう)で『例大祭』が執り行なわれます。県内随一の大きさを誇る山車と神輿が古式ゆかしく町を練り歩きます。土曜が宵宮で夕方、八幡宮前に5台の山車…
鹿児島県肝付町(きもつきちょう)野崎にある塚崎古墳群は、前方後円墳5基・円墳54基(現存するのは39基)と地下式横穴墓29基で構成される古墳群。大隅半島の東部、野崎塚崎台地に築かれた古墳群ですが、花牟礼古墳と通称される塚…
岩手県奥州市胆沢にある墳丘長43m〜45mの前方後円墳が角塚古墳(つのづかこふん)。規模はさほど大きくありませんが、実はこの古墳、岩手県では唯一の、しかも日本最北の前方後円墳なのです。古墳の墳丘は葺石で覆われ、埴輪が並ん…
東京湾に突き出した富津岬全体が千葉県立富津公園に指定されていますが、実はその根元の部分に、堀で囲まれた城郭のようなものがあるのをご存じでしょうか? これが、東京湾防備の要塞の一つ、富津元洲堡塁砲台の跡です。
ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・…
鹿児島県大崎町横瀬にある墳丘長132mの巨大な前方後円墳が横瀬古墳(横瀬大塚山古墳)。志布志湾の海岸線より1kmほど内陸に入った標高7mの水田の中に位置しています。鹿児島県では唐仁大塚古墳(東串良町)に次ぐ2番目に大きい…