熱田神宮・佐久間灯籠
愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮の境内にある大灯籠が佐久間灯籠。寛永7年(1630年)、佐久間勝之は海難にあい、熱田神宮に祈ったところその加護によって救われたことに感謝して寄進したものと伝えられ、同じ佐久間勝之(さくまかつ…
愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮の境内にある大灯籠が佐久間灯籠。寛永7年(1630年)、佐久間勝之は海難にあい、熱田神宮に祈ったところその加護によって救われたことに感謝して寄進したものと伝えられ、同じ佐久間勝之(さくまかつ…
愛知県豊田市水源町で、矢作川から取水し、岡崎市、安城市、西尾市、碧南市、高浜市、刈谷市、知立市に水を供給する近代農業用水が明治用水。明治13年に完成した用水は、農林水産省の疏水百選、国際かんがい排水委員会(ICID)の世…
愛知県西尾市東幡豆町から蒲郡市の形原温泉に至る5.1㎞の有料道路が三ヶ根山スカイライン。愛知県道路公社が管理し、沿線に植栽されたアジサイが初夏に咲くため、「あじさいライン」の愛称が付いています。途中の三ヶ根山スカイライン…
愛知県額田郡幸田町から蒲郡市に至る全長16.3kmの山岳ハイウェイ。昭和48年11月9日に全線開通した有料道路(愛知県道路公社が管理)が前身で、平成18年2月1日に無料化。現在は愛知県道525号(蒲郡環状線)になっていて…
豊川の河口の北側、愛知県豊川市御津町佐脇浜にある三河湾に臨む臨海公園が三河臨海緑地。汐入の池、富士山が築かれた日本列島のミニチュア的な日本列島公園、臨海球場(野球場2面、ソフトボール4面)、避難用高台などが整備されていま…
愛知県豊橋市にある吉田藩の藩庁だった吉田城。その城跡は現在、豊橋公園になっていますが、豊橋公園正門は、かつての歩兵第18連隊正門(歩兵第十八聯隊正門)。正門の脇にはコンクリート造りの哨舎跡(しょうしゃあと)が残されていま…
中世に三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町)に築かれた吉田城。江戸時代には吉田藩の政庁となった城で、現在では本丸、二の丸、三の丸一帯が豊橋公園として整備され、本丸北西の鉄櫓(くろがねやぐら)跡に模擬櫓が再建されてい…
愛知県岡崎市本宿町にある浄土宗の寺、法蔵寺(ほうぞうじ)。寺伝によれば大宝元年(701年)、行基によって法相宗の二村山出生寺として開山という古刹。松平家の菩提寺で、徳川家康も竹千代時代にこの寺で学んでいます。近藤勇の首を…
愛知県岡崎市鳥川町(とりかわちょう)を流れる鳥川は環境省の平成の名水百選にも選定の清流。鳥川ホタルの里は、ゲンジホタルの観賞スポットでピークには1000匹を超えるホタルが飛び交います。平成22年3月閉校の旧鳥川小学校の校…
愛知県岡崎市片寄町にある臨済宗妙心寺派の寺、天恩寺。貞治元年(1362年)、足利義満が足利尊氏の遺命で建立したと伝えられる古刹。天正3年(1575年)、長篠の戦いに向かう徳川家康が、この天恩寺を宿所にし、家康が何度も振り…
愛知県岡崎市六供町(ろっくちょう)にあるヨーロッパの古城のような佇まいの塔が六供配水場配水塔(ろっくはいすいじょうはいすいとう)。昭和9年5月31日に建てられた配水塔ですが、今も現役。敷地内は立ち入り禁止です…
愛知県岡崎市夏山町を走る愛知県道333号(切山夏山線)沿いにある杉の巨木が夏山の大杉(夏山の根上り杉)。樹高35m、幹周り6.5m、推定樹齢は800年という巨木で、根が地表から大蛇のように浮き上がっている様子から、根上り…
愛知県岡崎市夏山町を走る国道473号沿いにある巨大なクスノキが寺野の大楠(愛知県の天然記念物「寺野の大クス」)。樹高36m、幹周り12mで推定樹齢は1000年という大木です。数メートルの断崖上に成育し、木の真下寺野薬師堂…
愛知県岡崎市切山町を走る国道301号沿いにある巨大な杉が切山の大杉。樹高38m、幹周り8.5m、根周12mという巨木で、推定樹齢は1000年。愛知県の天然記念物に指定されています。垂れ下がった枝は地中に根を張っていること…
愛知県の岡崎市桑谷町、三河湾に臨む標高435.5mのピークが桑谷山(くわがいやま)。一等三角点のある頂は、眺望が良くありませんが、東側、標高412mの稜線一帯が桑谷展望園地として整備され、直下まで愛知県道525号(蒲郡環…
愛知県岡崎市若松町にある岡崎市立の都市公園が南公園。東公園に動物園があるのに対し、南公園は遊園地、交通広場、夏期にオープンの市民プール、梅林、テニスコートなどがあり、ファミリーにも人気の公園になっています。岡崎市では「カ…
愛知県岡崎市康生町、徳川家康誕生の城、岡崎城の本丸に鎮座する神社が龍城神社(たつきじんじゃ)。明治9年に、 岡崎城三の丸にあった東照宮と岡崎城本丸に遷座、本多忠勝を祭神とする映世神社を合祀し、築城時に龍が出現し…
愛知県岡崎市岩津町にある菅原道真を祭神とする天神社が岩津天満宮。江戸時代中期の宝暦9年(1759年)、信光明寺(しんこうみょうじ)22世・一誉上人が鎌倉・荏柄山天満宮(芭蕉天神)の分霊を勧請し、三河、遠州一円の尊崇を集め…