茶臼山高原
愛知県の最高峰・茶臼山(1415.8m)の南東の肩に広がる豊根村の茶臼山高原(ちゃうすやまこうげん)。高原の一部はすでに長野県売木村と根羽村です。愛知県側には59.1ha(草地29.4ha)という広大な茶臼山高原牧場が広…
愛知県の最高峰・茶臼山(1415.8m)の南東の肩に広がる豊根村の茶臼山高原(ちゃうすやまこうげん)。高原の一部はすでに長野県売木村と根羽村です。愛知県側には59.1ha(草地29.4ha)という広大な茶臼山高原牧場が広…
伊勢路と美濃路が合流し、京と尾張を結ぶ交通の要衝に位置した甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)。寺伝によれば推古天皇5年(597年)、伊勢国の漁師・甚目龍麿(はだめたつまろ)が観音像を網で引き揚げ堂を建て安置したのが始まりと…
愛知県愛西市にある国の重要文化財、船頭平閘門(せんどうひらこうもん)一帯は、船頭平河川公園として整備されていますが、その一角にある船頭平閘門管理所の2階が木曽川文庫。木曽三川(きそさんせん)分流工事や船頭平閘門建設の歴史…
明治35年に完成した重要文化財に指定の船頭平閘門(せんどうひらこうもん/愛知県愛西市)。木曽川と長良川を往来できるようにしたパナマ運河式の運河にある閘門は国の重要文化財ですが、閘門南側の運河と長良川に挟まれた高水敷(こう…
長良川の河口から上流へと遡ること12km、愛知県愛西市にある船頭平閘門(せんどうひらこうもん)は、明治時代の木曽三川分流工事によって生じた、木曽川と長良川を結ぶ運河水面の高低差(1mほど)を克服するために設置されたパナマ…
名古屋市の熱田神宮公園内にある断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、墳丘長151m、前方部の幅116mで愛知県最大の前方後円墳。6世紀初頭の築造で、尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と推測されています。この墳墓を日本武尊…
瀬戸市街の北側の丘陵地にある建武3年(1336年)に創建された臨済宗妙心寺派の名刹、定光寺(じょうこうじ)。天文3年(1534年)に再建された本堂(国の重要文化財)や中国の儒教様式で造られた尾張藩祖・徳川義直(とくがわよ…
愛知県長久手市、長久手古戦場近くに建つ車の博物館がトヨタ博物館で、トヨタ自動車の創業50周年を記念して平成元年に建てられたもの。本館ではガソリン自動車が誕生した19世紀末から20世紀の自動車の歴史を実用車を中心に、約14…
三河湾(愛知県)の最奥部、衣浦港の西側(半田市/中央ふ頭・半田緑地公園)と東側(碧南市/東埠頭・碧南緑地)を結ぶ愛知県道265号(碧南半田常滑線)のトンネルで、車道(有料道路の「衣浦トンネル」)に分離して無料の歩行者自転…
愛知県豊川市にある前方後円墳が船山古墳(船山1号墳)。5世紀後半頃(古墳時代中期)の築造で、墳丘長95mは東三河では最大。周辺には三河国府跡(曹源寺)、三河国分寺跡、三河国分尼寺跡(三河国分尼寺跡史跡公園)があり、古代の…
吉良温泉にある海水浴場の一つで、三河湾に突き出した蛭子岬(えびすみさき)の東に広がる汀線310mの浜が恵比寿海水浴場で隣の宮崎海水浴場と吉良ワイキキビーチを形成しています。遊歩道と海浜緑地が整備されるほか、西端には蛭子社…
三河湾に面した吉良領饗庭(きらりょうあいば)地区(現・愛知県西尾市吉良)は、江戸時代に塩田による塩の生産が盛んで、にがり分が少なく良質な「饗庭塩」(あいばじお)として流通していました。その製塩の歴史と技術を今に伝えるのが…
三河湾に臨む愛知県西尾市吉良町にある西三河最大(墳丘長94m)の前方後円墳で国の史跡になっているのが正法寺古墳(しょうぼうじこふん)。周辺は田園地帯ですが、古墳が築造された古墳時代中期前葉(4世紀後葉〜5世紀初頭)には周…
織田信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備したのが長久手古戦場公園。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍…
愛知県一宮市の北を流れる木曽川(南派川)の河川敷にある広大な公園が138タワーパーク。高さ138mの展望塔ツインアーチ138を中心に、芝生広場、やすらぎの池、風紋の広場、フワフワドーム、わくわくスライダー、3200株のバ…
明治時代を中心とする建築物を愛知県犬山市の入鹿池(いるかいけ)周辺のなだらかな丘陵地帯の景観を生かしながら移築・展示した野外博物館。解体される運命にあった建造物の中から価値あるものを選び順次移築復原し、移築された歴史ある…
品川沖の第二台場の西端に明治3年3月5日に初点灯したのが品川灯台。幕末に徳川幕府が米、英、仏、蘭の4か国と結んだ改税約書(江戸条約)によって建設が決まり、フランスとイギリスに、灯台のレンズや機械の購入や技術指導を依頼、明…
明治23年11月7日に、外国人の賓客が宿泊できる本格的な西洋式ホテルとして開業した帝国ホテル。初代の建物は大正8年に失火で焼失。その後、フランク・ロイド・ライト設計の本館「ライト館」が大正12年9月1日に竣工。昭和39年…