白秋生誕祭|柳川市
毎年、詩聖・北原白秋の誕生日である1月25日には、その生誕を祝うとともに偉業を偲ぶ『白秋生誕祭』がゆかりの地、福岡県柳川市で開催されます。白秋の遺影を飾った大八車を先頭に、北原白秋の母校である矢留小学校の5年生がマーチン…
毎年、詩聖・北原白秋の誕生日である1月25日には、その生誕を祝うとともに偉業を偲ぶ『白秋生誕祭』がゆかりの地、福岡県柳川市で開催されます。白秋の遺影を飾った大八車を先頭に、北原白秋の母校である矢留小学校の5年生がマーチン…
旧暦元旦2:00頃〜4:00頃(干潮時)、福岡県北九州市の和布刈神社(めかりじんじゃ)で『和布刈神事』が齋行されます。旧暦元旦に横代湯立神楽(よこしろゆたてかぐら)が奉納され、その年初めての干潮と同時に身を清めた神官がワ…
2024年2月3日(土)〜3月22日(金)9:30〜17:00、飯塚市で『第24回いいづか雛のまつり』。飯塚は、明治から昭和にかけて石炭産業で栄えた飯塚。旧長崎街道中心商店街全体のおかみさんたちが中心となって、手作りの雛…
2024年1月6日(土)10:00〜16:00(開場9:00)、福岡市の博多区沖浜町のマリンメッセ福岡で恒例の『福岡市消防出初式』開催されます。式典の部(10:00〜)に続いて、一斉放水(博多湾へ放水)や消防伝統技術演技…
福岡県福岡市博多区にある十日恵比須神社の『正月大祭』が1月8日の「初えびす」から1月11日の「残りえびす」まで4日間にわたって行なわれますが、1月9日の「宵えびす」には博多芸者(博多芸妓衆)のかち詣り(徒歩詣り)がありま…
1月8日〜1月11日、福岡市の十日恵比須神社で『正月大祭』が行なわれ、商売繁盛のご利益を得るために多くの参詣者が集まります。4日間にわたって福引きが行なわれるほか、文禄元年(1592年)から始まる新春の縁起を祝う儀式『開…
2025年1月3日(金)、福岡市の筥崎宮(筥崎八幡宮)で室町時代に始まったとされる『玉取祭(玉せせり)』が行なわれます。『玉取祭』は、一般に『玉せせり』といわれ、全国に知られる奇祭。締め込み姿の男衆が陰陽2つの木製の玉を…
福岡県糸島市、糸島半島北西部、玄界灘に突き出した大門崎は、六角形や八角形をした玄武岩の柱状節理が整然と並ぶ奇観を生みだしています。そんな大門崎の北東の崖下には高さ64m、間口10m、奥行き90mほどの巨大な海食洞が開いて…
北九州港の若戸渡船若松渡場のある南海岸通りから東海岸通りにかけての海岸には、明治25年に若松港が築港された時代の石積護岸が残されています。この護岸、筑豊炭鉱の石炭を積み出すために築かれたもの。同様に、大正8年築の旧古河鉱…
北九州市の幅数百m、長さ10kmの細長い入江状の洞海湾(現在は北九州港に)に架かる長大橋が国道199号の若戸大橋。昭和37年9月27日に供用開始し、当時は「東洋一の夢の吊り橋」で、観光客も訪れる高度成長のシンボル的な存在…
阪神と九州を結ぶ阪九フェリー。福岡県北九州市門司区新門司北に本社を置く海運会社(SHKライングループ)で、その拠点となっているのが新門司港です。注意したいのは泉大津行の便がフェリーの煙突部を模した造りの第2ターミナルから…
福岡県北九州市が運営する北九州市営渡船の航路で洞海湾で隔たれる若松区と戸畑区を結ぶ若戸渡船(若戸航路)の若松区側の乗り場が若松渡場。市営渡船ながら、関門汽船に委託されて運航されているもので、渡場の待合室内に券売機が設置さ…
北九州市洞海湾に架かる若戸大橋の下を通って、若松区と戸畑区を結ぶのが若戸渡船(北九州市営若戸航路)。その戸畑区側の乗船場が戸畑渡場です。JR戸畑駅北口から徒歩10分という便利なアプローチになっています。戸畑渡場は、若戸大…
北九州市の若松区(若松渡場=若松区本町1丁目/JR若松駅から徒歩20分)と戸畑区(戸畑渡場=戸畑区北鳥旗町/JR戸畑駅北口から徒歩10分)を3分で結ぶ北九州市営の渡船が若戸渡船(北九州市営若戸航路)。「第十八わかと丸」(…
門司港レトロ地区から古城山の山頂部にある和布刈公園展望台に車で上る途中、ヘアピンカーブを利用してつくられた展望台が和布刈第二展望台。門司港レトロ地区を眼下に、関門海峡や関門橋を一望にする展望台となっています。木製のテラス…
福岡県北九州市の若松区と戸畑区を結ぶ若戸大橋。その西に5kmほどのところに位置する標高122mの高塔山山頂一帯18.0haは高塔山公園として整備されています。若戸大橋や北九州市街を一望にする展望台、県木の森、万葉植物園、…
山陽新幹線、在来線に連絡する小倉駅(福岡県北九州市小倉北区)と小倉南区の企救丘駅(きくがおかえき)を結ぶ北九州高速鉄道の跨座式モノレール路線が北九州モノレール。正式名は北九州高速鉄道小倉線で、昭和60年1月9日開業。営業…
豊前国小倉(現在の北九州市小倉区)の庄屋・岩松助左衛門(いわまつすけざえもん)は、幕末の文久元年(1861年)、庄屋を退くとともに、小倉藩から小倉藩海上御用掛難破船支配役に任じられます。岩松助左衛門は灯台建設を進言し、私…