アクアワールド水郷パークセンター
岐阜県海津市海津町の海津温泉近くにあるのが国営木曽三川公園の一部であるアクアワールド水郷パークセンター。環境省のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に指定されたオニハスが茂る義呂池(面積3.8ha)を中心に池の畔に高さ19m…
岐阜県海津市海津町の海津温泉近くにあるのが国営木曽三川公園の一部であるアクアワールド水郷パークセンター。環境省のレッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に指定されたオニハスが茂る義呂池(面積3.8ha)を中心に池の畔に高さ19m…
岐阜県恵那市明智町の東側にそびえる標高530mの城山の頂上に位置する平山城が明知城(あけちじょう)。戦国時代に三河と信濃の国境に近い東濃の要衝だった明智。戦国時代、白鷹城とも呼ばれた明知城は、戦国時代に攻防の地となった城…
岐阜県美濃市を流れる長良川に架る人道吊橋が美濃橋。大正5年8月完成した吊橋で、歩行者、自転車のみ通行可能ですが、今も現役。現存する最古の近代吊橋で、国の重要文化財に指定されるほか、土木学会選奨土木遺産を受賞。張られたネッ…
岐阜県高山市清見町から、岐阜県郡上市八幡に至る全長64kmの道路が、飛騨せせらぎ街道。途中にある西ウレ峠(1113m)は太平洋と日本海の中央分水嶺となっていて、峠周辺は源流部ということに。また西ウレ峠周辺のブナの森など、…
岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に鎮座する社が白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)。日本三霊山・白山を開いた泰澄(たいちょう)が養老年間(717年〜724年)に社域を拡張し天武天皇、聖武天皇の両朝に神剱、神馬の…
岐阜県大垣市赤坂町にある、慶長10年(1605年)頃、徳川家康が上洛途中の休泊施設として築いた御殿の跡がお茶屋屋敷跡。江戸に幕府を開いた家康は、五街道の整備に着手し、慶長14年(1609年)、中山道の要衝、勝山の北側に自…
岐阜県大垣市、養老鉄道友江駅近くに建つ、「大垣輪中」(おおがきわじゅう)の典型的な豪農(地主)建築の主屋、納屋、水屋を復元し、輪中地域の生活を体感できる施設が輪中生活館(旧名和邸)。明治9年築の主屋の玄関には、洪水時に使…
岐阜県大垣市、養老鉄道友江駅近くに建つ、「大垣輪中」(おおがきわじゅう)を解説するミュージアムが大垣市立の輪中館。輪中館の館内では、寛永13年(1636年)に誕生した「大垣輪中」の成立から現在に至るまでの水と闘い、共存し…
岐阜県高山市高根町野麦、飛騨(岐阜県北部)と信州(長野県)の国境に位置する野麦峠。かつての野麦街道の峠越えの道は、岐阜県道・長野県道39号(奈川野麦高根線)となっていますが、その野麦峠に建つ、全国唯一の峠をテーマにしたミ…
岐阜県高山市高根町野麦、飛騨(岐阜県北部)と信州(長野県)の国境に位置する野麦峠。かつての野麦街道の峠越えの道は、岐阜県道・長野県道39号(奈川野麦高根線)となっていますが、峠周辺には旧道や、峠の茶屋であるお助け小屋も現…
岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある真言宗智山派の寺、成田山貞照寺(ていしょうじ)。昭和8年10月28日、日本最初の女優といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が創建した寺で、川上貞奴霊廟があるほか、貞奴縁起館では、川上貞奴…
岐阜県可児市にある曹洞宗の寺、天龍寺。背後にある明智城は、明智光秀生誕の城ともいわれる明智氏の居城で、境内には明智氏歴代の墓所があり、本堂には明智光秀の命日、旧暦6月13日にちなんで、6尺1寸3分(184cm)と日本一大…
岐阜県可児市にある土岐明智氏の居城で、明智光秀生誕の城といわれるのが明智城(明智長山城)。鎌倉時代後期、康永元年(1342年)、長山に土岐頼兼(ときよりかね)が城を築いたのが始まりとされ(『美濃国諸旧記』)、土岐頼兼は、…
岐阜県高山市、奥飛騨温泉郷の中尾温泉と、新穂高ロープウェイの乗り換え駅のある鍋平高原を結ぶ、高山市道中尾鍋平線に架る橋が、全長150mの北アルプス大橋。外ヶ谷の峡谷をひとまたぎにする橋で、正面に笠ヶ岳連峰を眺望します。
岐阜県高山市、新穂高ロープウェイの中間駅がある鍋平高原。第1ロープウェイと第2ロープウェイの乗り換えのしらかば平駅となりが、「新穂高ビジターセンター山楽館」、源泉かけ流しの温泉露天風呂「神宝乃湯」(かみたからのゆ)がある…
岐阜県高山市、新穂高温泉と西穂高岳を結ぶ新穂高ロープウェイ(第1ロープウェイ、第2ロープウェイの乗り継ぎ)の第2ロープウェイしらかば平駅(鍋平高原)に隣接するのが新穂高ビジターセンター山楽館。新穂高ロープウェイの施設で、…
岐阜県郡上市白鳥町、長良川鉄道(美濃太田〜北濃/72.1 km)の終着駅が北濃駅。昭和9年8月16日、国有鉄道越美南線として開業した駅で、御母衣ダム建設時には資材輸送の拠点にもなりました。駅構内北側には、明治35年、アメ…
岐阜県美濃加茂市、中山道(なかせんどう)の宿場町で、木曽川対岸の今渡への渡し場であった太田宿。江戸時代、太田宿の脇本陣を務めたのが林家で、街道時代の建物が旧太田脇本陣林家住宅です。尾張藩太田代官の指揮下で宿場の行政事務も…