お食事処会津屋
三重県亀屋市、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定される東海道関宿。街道時代の旅籠「会津屋」が往時の建物を活かして「お食事処会津屋」として営業しています。レトロな建物の中で手作りおこわと、街道そばが味わうことができます…
三重県亀屋市、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定される東海道関宿。街道時代の旅籠「会津屋」が往時の建物を活かして「お食事処会津屋」として営業しています。レトロな建物の中で手作りおこわと、街道そばが味わうことができます…
東海道五十三次、江戸・日本橋から47番目の宿場が関宿(三重県亀山市)。関宿の家並みのなかに設けられた園地が百六里庭で、江戸から106里の地というのが名の由来となっています。旧東海道に面した眺関亭(ちょうかんてい)からは、…
旧東海道・関宿(三重県亀山市)にある街道時代に亀山藩が管理した高札場跡。キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10年に撤去されましたが、江戸…
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された三重県亀山市の東海道・関宿(せきじゅく)の中心、中町にある資料館が関宿旅籠玉屋歴史資料館。街道時代には、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謳われた関宿を代表…
三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正…
三重県伊勢市を流れる勢田川にあった川湊(かわみなと)、河崎湊には、民族の大移動のように伊勢を目指した江戸時代の繁栄を今に偲ばせる蔵が残されています。これが勢田川河崎の蔵群。伊勢には人ばかりでなく物資も集結。伊勢・大湊に集…
神宮(伊勢神宮)、内宮(ないくう=皇大神宮)参道途中、五十鈴川沿いにある古来からの禊(みそぎ)の場が御手洗場(みたらし)。宇治橋の前で一礼し、心も正して宇治橋を渡り、一の鳥居をくぐった先で五十鈴川に出ると御手洗場がありま…
松尾芭蕉(まつおばしょう)は正保元年(1644年)に伊賀上野(現・三重県上野市赤坂町)に生誕。松尾家は農家でしたが、松尾の苗字を許された家柄。侍大将・藤堂良清の嗣子・良忠(俳号は蝉吟)に仕え、藤堂良忠とともに俳諧の道に入…
松尾芭蕉の故郷、伊賀上野(三重県伊賀市)には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの5ヶ所の草庵がありましたが唯一現存するのが蓑虫庵(みのむしあん)。貞享5年(1688年)、芭蕉の門…
「輪中」とは木曽三川(きそさんせん=木曽川、長良川、揖斐川)の河口部に広がる湿地帯(ゼロメートル地帯)の水害を防ぐために高い堤防で囲まれた地域のことで、輪中の郷のある桑名市長島町もそのひとつ。輪中の郷では、木曽三川の「輪…
伊勢と奥志摩を結ぶパールロード(三重県道128号鳥羽阿児線)途中、鳥羽市相差(おうさつ)地区への入口に位置する展望台が面白展望台。志摩市と鳥羽市の境にある的矢湾(まとやわん)や安乗埼灯台、大王埼灯台までリアス式海岸の海岸…
三重県伊勢市二見町、伊勢湾に注ぐ五十鈴川(いすずがわ)の三角州地帯で伊勢神宮参拝の水垢離(みずごり)を行なう垢離場として、そして万葉の昔から景勝地として有名な海岸が二見浦(ふたみがうら)。夫婦岩は二見浦のシンボルで、夫婦…
三重県の伊勢には「鈴鹿アルプス」といわれる急峻な鈴鹿山脈が滋賀県境との間に連なっています。有名な伊勢茶はその山麓で作られていますが、東海道・鈴鹿峠に近い鈴鹿山脈南部の亀山市には美しい棚田があります。その代表格の坂本の棚田…
西桑名駅と阿下喜駅(あげきえき)を結ぶ三岐鉄道北勢線の終着駅が阿下喜駅(三重県いなべ市北勢町)。三岐鉄道北勢線は、現役で活躍する数少ない762mm軌間のナローゲージで、昭和6年全通の軽便鉄道(北勢鉄道)がルーツ。阿下喜駅…
三重県四日市市の四日市港を流れる千歳運河(臨港交通施設)にかかる珍しい跳ね橋(道路橋)が臨港橋。昭和6年に跳開式可動橋として架設され、現在の橋は平成3年に完成した3代目。初代が架けられた昭和初期は陸上輸送と運河の舟運とが…
三重県いなべ市を走る三岐鉄道北勢線(軽便鉄道=ナローゲージ・狭軌)の明智川に架かる全長19.8mの橋梁がめがね橋(明智川拱橋)。土木学会の土木遺産にも認定される橋。アーチが連続することから「めがね橋」と呼ばれていますが正…
三重県いなべ市を走る三岐鉄道北勢線(狭軌=ナローゲージで有名)にある橋梁で、土木学会の土木遺産にも認定される橋。正式名は六把野井水拱橋(ろっぱのゆすいきょうきょう)ですが、「ねじりまんぽ」を使った形状からねじり橋と通称さ…
三重県亀山市、かつての亀山城の城下町に現存するのが加藤家長屋門。加藤家は江戸時代後期の亀山城主石川家の家老職を務めた家。屋敷は亀山城西の丸に位置しています。現存する長屋門は、屋敷の表門で、内部には男部屋、若党部屋など4部…