出島和蘭商館跡・旧長崎内外クラブ
長崎県長崎市の出島のオランダ商館を復元した出島和蘭商館跡。そのなかにある洋館、旧長崎内外クラブは、開港後の明治36年、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として、イギリス人貿易商のフレデリック・リンガーによって建てられ…
長崎県長崎市の出島のオランダ商館を復元した出島和蘭商館跡。そのなかにある洋館、旧長崎内外クラブは、開港後の明治36年、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として、イギリス人貿易商のフレデリック・リンガーによって建てられ…
鎖国時代に日本と西欧を結ぶ唯一の窓口だったのが長崎・出島。扇形をした人工島は寛永18年(1641年)に平戸のオランダ商館を移してから安政の開国までの220年間、阿蘭陀屋敷と呼ばれていました。出島和蘭商館跡には当時の商館、…
長崎の出島は、寛永13年(1636年)に築造され、安政6年(1859年)に日蘭通商条約の締結でオランダ商館が閉鎖されるまで218年間にわたり、幕府の鎖国政策のなかで唯一西欧に開かれていた場所。平成8年から出島の復元が始め…
中国・清朝の対日政策の変更による唐船(中国商船)の往来の増加による密貿易対策として、元禄2年(1689年)、長崎各地に住んでいる中国人を集めて造られた外国人居留地が、唐人屋敷。その遺構のひとつが旧唐人屋敷・観音堂で、瓢簟…
長崎県長崎市館内町にある、鎖国時代の日本の交易を支えた中国人(唐人)たちの居留地に築かれた媽祖廟(まそびょう)の遺構が旧唐人屋敷・天后堂。天后堂(てんこうどう)は、元文元年(1736年)に、南京出身の人々が航海の安全を祈…
鎖国時代の長崎にはオランダ人の住む出島のほかに、中国人(唐人)の居住する唐人屋敷と呼ばれる居留地がありました。その跡地が旧唐人屋敷(館内地区)。中国・清朝が積極的に貿易船(唐船)を日本に送るようになると、密貿易は悩みの種…
昭和20年8月9日、長崎県長崎市に投下された原爆の熱線と強烈な爆風のため、山王神社の社殿は倒壊。参道に現存する鳥居は、その原爆投下時の遺物として、世界的にも有名になった「一本柱鳥居」。これは爆心地の南東約900mに位置し…
鎖国政策の中、江戸時代の長崎(現・長崎県長崎市)には1万人もの中国人が暮らしていたと推測されていますが、元禄4年(1691年)、唐船(中国船)の船頭たちの願いが許可され、当時中国人の居留地だった唐人屋敷入口に建立された土…
長崎県長崎市新地町にある長崎新地中華街は、横浜、神戸に並ぶ日本三大中華街のひとつ。唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地に、明治以降にチャイナタウンが形成されたもの。 東西南北全ての入り口に牌楼(ぱいろ…
長崎県五島列島の男女群島(だんじょぐんとう)・女島(五島市・無人島)の南端、屏風ヶ浦の断崖の上に建つ灯台が女島灯台(めしまとうだい)。昭和2年12月1日に初点灯の歴史ある灯台で、日本の灯台50選に選定。昭和32年公開の映…
長崎県南島原市南有馬町谷水地区にある「日本の棚田百選」にも選ばれている美しい棚田が谷水の棚田(たにみずのたなだ)。平地が少なく狭い耕地を有効に利用するために、斜面に石垣を築き、溜池の水を使って水田耕作が行なわれています。…
長崎県長崎市にある江戸時代初期に華僑(かきょう)が創建した唐寺のひとつで、興福寺、福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられるのが崇福寺(そうふくじ)。第一峰門(だいいっぽうもん)は、元禄8年(1695年)再建の中門で、建材…
長崎県長崎市にある江戸時代初期に創建された唐寺のひとつ、崇福寺(そうふくじ)。慶長17年(1612年)の禁教令により、仏教寺院を菩提寺にすることが義務付けられたため、長崎在住の華僑(かきょう)も自らの寺を建立することに。…
長崎県長崎市にある黄檗宗の古刹、崇福寺(そうふくじ)。寛永6年(1629年)、長崎で貿易に従事する福州出身の唐人たちの要望で、超然(ちょうねん)が招聘されて建立した、黄檗宗の寺院。興福寺、福済寺とともに「長崎三福寺」のひ…
長崎県島原市にある島原鉄道島原鉄道線の駅が、大三東駅(おおみさきえき)。急行停車駅ながら無人駅で、有明海(江崎海岸)に臨む立地から、九州を代表する絶景駅に数えられています。大正2年5月10日、島原鉄道の神代町〜大三東間開…
長崎県長崎市内の路面電車を運行する長崎電気軌道。大正4年11月16日の病院下 – 築町間で開通の開業で誕生したのが長崎駅前電停(長崎駅前停留場)。現在のJR長崎駅が開業したのが明治38年だったので(当初は現・…
長崎港によって分断される長崎市南部と西部を最短距離で結ぶ斜張橋が女神大橋。長崎県道51号(長崎南環状線)・臨港道路女神大橋線の橋(有料道路)で、ヴィーナスウィングという愛称が付いています。橋の下を長崎港に入る大型のクルー…
長崎県南島原市の諏訪池(すわのいけ/雲仙市)近くの山中、標高230mほどの高台に位置する縄文時代晩期終末の遺跡(墓地)が原山支石墓群(はらやましせきぼぐん)。日本国内の支石墓遺跡としては最古最大級のもので、原山ドルメンと…