冬の朝の風物詩「ふゆの鹿寄せ」|奈良市|2025
2025年1月4日(土)〜2月24日(月・振替休)の 土・日曜、祝日10:00〜、奈良市の奈良公園・飛火野(春日大社参道南側)で『鹿寄せ』が行なわれます。明治25年9月25日、鹿園竣工奉告祭にラッパを使って鹿寄せを実施し…
2025年1月4日(土)〜2月24日(月・振替休)の 土・日曜、祝日10:00〜、奈良市の奈良公園・飛火野(春日大社参道南側)で『鹿寄せ』が行なわれます。明治25年9月25日、鹿園竣工奉告祭にラッパを使って鹿寄せを実施し…
1月第4土曜、奈良市で『若草山焼き』が行なわれます。奈良のシンボル、若草山で行なわれる早春の代表的行事。若草山焼き行事の起源には諸説ありますが、三社寺(春日大社・興福寺・東大寺)の説によれば、若草山頂にある日本で最も高い…
奈良県桜井市の多武峯(とうのみね)にある藤原鎌足(ふじわらのかまたり)を祀る神社が談山神社(たんざんじんじゃ)で、大宝元年(701年)創建という古社(創建当時は聖霊院という寺)。大和路随一の紅葉の名所としても知られますが…
奈良市中町にある霊山寺真言宗大本山が霊山寺(りょうせんじ)。奈良時代に行基が開山したと伝わる古刹です。弘安6年(1283年)築の本堂は鎌倉時代和様仏堂の代表作として国宝。鐘楼、三重塔、霊山寺の鎮守社だった十六所神社は国の…
奈良市尼ヶ辻町にある古墳時代初期(4世紀後半頃〜5世紀初頭)に造られた前方後円墳が垂仁陵古墳(宝来山古墳)。第10代崇神(すじん)天皇の皇子で、宮内庁から神武天皇から数えて11代目の垂仁(すいにん)天皇の御陵とされていま…
平成18年に国の重要伝統的建造物群保存地区「宇陀市松山伝統的建造物群保存地区」に選定された奈良県宇陀市の松山地区。中世に宇陀松山城の城下町として築かれ、豊臣家配下の大名によって整備された家並みです。江戸時代には天領になり…
宇陀松山伝統的建造物群保存地区の一角にある小さな門。現存する唯一の宇陀松山城(続日本100名城)の遺構で、慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦の功績で、福島高晴(ふくしまたかはる=福島正則の弟)が宇陀松山城に入城した際に…
宇陀松山城(「続日本100名城」選定)は、奈良県宇陀市にあった中世の山城。城下町は、宇陀松山伝統的建造物群保存地区となっています。その松山城下町の出入口にあたる西口関門(黒門)から続く大手筋正面に位置するのが春日門。町人…
奈良県大和郡山市に城跡がある大和郡山城(やまとこおりやまじょう)は天正8年(1580年)大和を統一した信長に臣従した筒井順慶(つついじゅんけい)の築城に始まる大和では最大規模の城郭。江戸時代には郡山藩の藩庁にもなった城で…
奈良県明日香村の飛鳥稲渕宮殿跡近くにある棚田が稲渕の棚田で、農林水産省の「日本の棚田百選」にも選定されています。明日香村らしく、この棚田も中世(平安~室町時代)に開墾されという歴史あるもの。300枚あまりの田畑は、奥飛鳥…
奈良県桜井市にある三輪山(467.1m)は、『古事記』や『日本書紀』に、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮座する山として大神神社(おおみわじんじ…
古墳時代前期の大規模集落である奈良県桜井市の纒向遺跡(まきむくいせき)。南東端に位置するホケノ山古墳は3世紀前半頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳。一帯には古墳時代初頭から前期に造られた古墳が数多く残され…
藤ノ木古墳は、奈良県斑鳩町にある6世紀後半の築造と推定される直径48m、高さ9mほどの円墳で被葬者は不明。石室内からは鳳凰、象、鬼面などの透彫を施した見事な金銅製の馬具が出土し、石室に収められた家形石棺内からは金銅製の冠…
奈良県桜井市にある華厳宗の寺、安倍文殊院(あべもんじゅいん)。京都府宮津市の切戸文殊(智恩寺)、山形県高畠町の亀岡文殊(大聖寺)に並び「日本三文殊」のひとつ。大化改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらは…
奈良県桜井市初瀬に建つ真言宗豊山派総本山の古刹が長谷寺(はせでら)。正式には豊山神楽院長谷寺といい、朱鳥元年(686年)、僧・道明が天武天皇のために銅板法華説相図(千仏多宝仏塔=国宝)を安置したことが始まり。舞台造り(懸…
奈良県明日香村を見下ろす小峰・岡山の山腹に建つ古刹が岡寺で、正式名は東光山真珠院龍蓋寺(とうこうさんしんじゅいんりゅうがいじ)。岡に立つ寺という意味で、岡寺と通称されています。寺伝によれば、天智2年(663年)、天智天皇…
奈良県高取町にある壺阪寺は、大宝3年(703年)、弁基上人が開基と伝えられる古刹。それを証明するかのように境内からは藤原京時代の瓦が出土しています。京都・清水寺(きよみずでら)の北法華寺に対し南法華寺が寺の正式名で、長谷…
奈良市にある不退寺(ふたいじ)は、『大和國金龍山不退寺縁起』によれば、承和14年(847年)、平城天皇(へいぜいてんのう)が退位後暮らした「萱の御所」に、孫の在原業平(ありわらのなりひら)が自ら刻んだ仏像を安置し、「不退…