石切大仏
東大阪市の石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)近くに鎮座するのが石切大仏。精力ドリンク「赤まむし」などを製造・販売するサカンポー(阪本漢方製薬)の4代目・阪本昌胤氏が創業地である東大阪市石切町に建立したのが、知る人ぞ…
東大阪市の石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)近くに鎮座するのが石切大仏。精力ドリンク「赤まむし」などを製造・販売するサカンポー(阪本漢方製薬)の4代目・阪本昌胤氏が創業地である東大阪市石切町に建立したのが、知る人ぞ…
京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼…
堺市の旧堺港の南側一帯は、明治から戦後間もなくまで、海浜リゾートとして繁栄した地。現在は大浜公園として整備されていますが、大浜公園プールの南側の築山(蘇鉄山)に、標高6.97mの一等三角点が設置されています。実は、この蘇…
戦国時代、堺は対明貿易や南蛮貿易の拠点となる貿易港として黄金時代を迎え、世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。その後、大和川の付け替えで一時衰退しますが、江戸商人吉川俵右衛門などが湊を築き、新たな時…
旧堺港の南波止場にある六角形の木造洋式灯台の旧堺灯台は、明治10年に灯台の基礎と木製灯台部は石工・継国真吉と大工・大眉佐太郎の手で建造され、イギリス人技師ビグルストンが点灯機械の取り付けを行なったもの。灯台新築費2125…
大阪市役所の向かい側に建つ明治36年築の美しい洋館で国の重要文化財に指定されるのが日本銀行大阪支店(旧館)。花崗岩を築き上げた石造りで、設計は東京駅などの設計で知られる辰野金吾とその後輩の葛西萬司(かさいまんじ)です。落…
中之島公園に建つレトロな大阪府立の図書館が大阪府立中之島図書館。本館は、明治37年に住友本家第15代・家長吉左衛門氏の寄付によって建てられたもの。レンガと石造りの重厚な建物で、コリント式円柱に支えられるエントランスはロー…
堺市堺区北三国ヶ丘町にある巨大な前方後円墳で、百舌鳥古墳群の北端に位置する古墳が田出井山古墳。宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第18代反正天皇(はんぜいてんのう)の陵に治定され反正天…
世界最大級の陵墓である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、田出井山古墳(反正天皇陵)などが並ぶ百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を見渡すのに絶好のスポットとなっているのが堺市役所21階展望ロビー。地…
大阪府堺市西区石津ヶ丘にある百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)のひとつで国内第3位の規模を誇る前方後円墳が上石津ミサンザイ古墳。宮内庁により「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)」として第17代履中天皇(りちゅ…
中之島のシンボルともなる大正7年に建てられた赤レンガの壁と青銅のドームとのコントラストが美しい大阪市中央公会堂。北浜の株式仲買人・岩本栄之助が100万円の私費を投じて建設し、大阪市に寄贈したものでネオ・ルネサンス様式の傑…
社伝では、10代崇神天皇8年(西暦前90年)創建と伝えられる堺市にある古社が方違神社(ほうちがいじんじゃ)。仁徳天皇陵の北、田出井山古墳(反正天皇陵)に隣接し、河内・和泉・摂津の三国境で三国山、三国丘と称される地に鎮座し…
大阪府堺市堺区大仙町にある日本最大の前方後円墳が大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の古墳で、北に位置する田出井山古墳、ミサンザイ古墳とともに、「百舌鳥耳原三陵(もずのはらさんりょう)」と呼ばれていま…
大阪府羽曳野市誉田にある古市古墳群を構成する古墳のひとつが誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。被葬者は判明していませんが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治…
大阪市浪速区の新世界に建つ展望塔。通天閣は天に通じる建物の意で明治の儒学者、藤沢南岳の命名。もともとは明治45年に、歓楽地・新世界の目玉となった娯楽遊園地ルナパークにエッフェル塔を模して建てられたましが、戦時中に鉄材の戦…
大阪府羽曳野市にある墳丘長190mという巨大な前方後円墳が軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)。古市古墳群のひとつに数えられています。被葬者は明らかでありませんが、宮内庁は「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第12代…
【2019年3月15日〜運行停止中】 金剛山の大阪府側の山上へと登る千早赤阪村の村営ロープウェイが金剛山ロープウェイ。大阪唯一の村にある全国唯一の村営ロープウェイです。昭和41年に架けられたロープウェイは全長1323m。…
古代の政治の中心は、飛鳥・奈良地域にあったのですが、645年、古代史上で有名な「大化改新」とともに即位した孝徳天皇は、人心を一新して政治を行なうために、古代の国際貿易港である難波津(なにわづ)に近い難波宮に遷都しています…