木津の磨崖仏
兵庫県神戸市西区押部谷町木津(きづ)の断崖に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)が木津の磨崖仏。礫岩と砂岩の崖(高さ5.6m、幅100m)に刻まれた像高42cmの阿弥陀如来坐像とその左右に3体ずつ配された像高25.2cm~28….
兵庫県神戸市西区押部谷町木津(きづ)の断崖に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)が木津の磨崖仏。礫岩と砂岩の崖(高さ5.6m、幅100m)に刻まれた像高42cmの阿弥陀如来坐像とその左右に3体ずつ配された像高25.2cm~28….
兵庫県たつの市龍野町大手にある龍野の醤油醸造の歴史を解説するミュージアムが、うすくち龍野醤油資料館。天正年間(1580年頃)創業、うすくち醤油(淡口醤油)の代表的企業、ヒガシマル醤油の運営。館内では天正年間に始まった龍野…
兵庫県たつの市龍野町にある中世から近世の城跡が龍野城。明応8年(1499年)、播磨の国を支配していた赤松政則(あかまつまさのり)が一族の赤松村秀のために鶏籠山の頂きに築城した山城が始まり。藩政時代には山麓の平山城が脇坂1…
兵庫県たつの市龍野町上霞城(かみかじょう)にある龍野藩の家老屋敷の門と伝えられる門が、龍野城家老門。高さ4.9m、屋根幅5.4mの重厚な門で、文学館の「霞城館(かじょうかん)」東側に位置しています。宝暦2年(1752年)…
兵庫県揖保郡太子町鵤(いかる)にある天台宗の古刹が斑鳩寺(いかるがでら)。推古天皇14年(606年)、聖徳太子は推古天皇のために勝鬘経(しょうまんぎょう)を講讃。天皇は大いに喜ばれ播磨国に水田百町を与えたのが斑鳩荘(鵤荘…
兵庫県姫路市御国野町、播磨国分寺跡(はりまこくぶんじあと)の寺域の北側に建つのが牛堂山国分寺(うしどうさんこくぶんじ)。播磨国分寺の後継寺院で、山門は奈良時代に聖武天皇の詔で建立された播磨国分寺の金堂のあった場所で(巨大…
兵庫県三木市にある本山修験宗の寺、伽耶院(がやいん)。寺伝によれば、大化元年(645年)、孝徳天皇の勅願寺として、法道仙人が開基。法道仙人は天竺(インド)から牛頭天王(ごずてんのう)を携えて日本に渡来したと伝える伝説の仙…
兵庫県三木市にある曹洞宗の寺、雲龍寺。三木合戦ゆかりの寺で、境内には別所長治首塚があります。寺伝によれば天徳2年(957年)、元三大師(がんざんだいし)の名で知られる天台宗の僧・良源(りょうげん=慈恵大師、)の創建。高源…
兵庫県丹波篠山市から丹波市にかけて連なる多紀連山は、標高こそ800mに満たないのですが険しい山容から多紀アルプスと通称されています。修験道全盛期に、吉野の金剛蔵王権現を祀る蔵王堂があったのが小金ヶ嶽で、チャート(珪石)の…
兵庫県丹波市にある臨済宗中峰派(りんざいしゅうちゅうほうは)の本山、高源寺(こうげんじ)。山梨県甲州市大和町の栖雲寺(せいうんじ)が東天目と呼ばれるのにに対して、高源寺は西天目。開山時に、中国・天目山より持ち帰ったと伝え…
兵庫県小野市にある自然公園で、中世の山城、金鑵城(かなつるべじょう)の跡が金鑵城遺跡広場(夢の森公園)。ローラーすべり台やアスレチック遊具などが整備される夢の森公園に一角に金鑵城遺跡広場があります。弥生時代の高地性集落、…
兵庫県佐用郡佐用町(さようちょう)にある中世の城跡が佐用城(福原城)。建武年間(1334年~1338年)に佐用範家(さようのりいえ)が築城した平山城。赤松氏36人衆のうちの福原氏が城主となったため福原城とも呼ばれています…
兵庫県姫路市網干区(あぼしく)にある戦国時代の羽柴秀吉の陣屋、そして江戸時代に飛び地として領有した丸亀藩の陣屋跡が、御茶屋鶴松亭跡(丸亀藩網干陣屋跡)。江戸時代に京極家は丸亀藩に転封されていますが、網干の興浜地区だけは飛…
兵庫県姫路市にある古社、松原八幡神社。社伝によれば、奈良時代の天平宝字7年(763年)、妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と記された霊木を拾い、それを祀ったのが始まりという古社。宇佐神宮の分霊を勧請したと伝えますが、平安時代には…
兵庫県姫路市御国野町御着にある中世の城跡が御着城(ごちゃくじょう)。茶臼山城とも呼ばれた中世の城で、永正16年(1519年)、姫路城代・小寺政隆(こでらまさたか)が築城し、赤松氏の一族小寺氏の居城となり、別所氏の治める三…
兵庫県姫路市にある戦国時代の古戦場の跡が青山古戦場跡。黒田官兵衛が父・黒田職隆(くろだもとたか)のもとを離れ初めて戦を指揮したのが青山・土器山の合戦。古戦場は現在の青山ゴルフクラブ一帯。現在の10番ホールと18番ホールに…
兵庫県姫路市飾磨区に鎮座し、平安時代編纂の『日本三代実録』に記載される古社、英賀神社(あがじんじゃ)。播磨国一之宮の伊和神社(宍粟市)に祀られる伊和大神(いわのおおかみ=播磨国の国土開発の神)を助け、英賀の地を拠点として…
兵庫県姫路市飾磨区妻鹿にあるのが黒田職隆廟所(くろだもとたかびょうしょ)。黒田官兵衛の父・黒田職隆は天正13年(1585年)、国府山城(妻鹿城、功山城)で没。国府山城南方の住宅地の一角に黒田職隆の廟所があり、地元では「筑…